昨日ははるばる新宿花園神社境内まで、唐十郎の「ジャガーの眼」を観に行く。演ずるのは金守珍率いる新宿梁山泊の面々。唐自身が主催していた状況劇場に長らく参加していた金が、当時の演技演出をある種のこだわりで再現をしようとする劇団である。
いままで3回ほどこの劇団の芝居は観てきて、ここで感想を書いたものもあるのだが、正直言って芝居自体に感服したと言うよりは、60年代に始まる小劇場運動のノスタルジアを感じ取るために観に行ったというのが本音。まあ、芝居自体は理屈抜きに面白いのだけれどね。役者も差はありつつもこの前に観た劇団よりはかなり上手。
今回は特に唐十郎の息子である大鶴義丹と異母妹である大鶴美仁音の共演というミーハーな興味もあり、日曜日の夕方というちょっと厳しい条件ながら観劇に望んだ次第。芝居そのものは1985年に初演されたもので、唐のライバルというか盟友というか、「天井桟敷」という劇団で唐と同時代を競った詩人にして演劇人、寺山修司の死後2年に唐が捧げた追悼演劇という形になっている。
とは言いつつ、どこが追悼であるのかは観ていてもさっぱり判らず、そういえば寺山修司好みのテーマ、美少女の人形とか、宝塚風男装の麗人などが出てきているのかなぁという程度。寺山の晩年、尿毒症による軽度意識混濁のせいなのか、街角で覗き行為をして逮捕されたという事件があり、この芝居の一連の主題になっている「特殊な視線を持つ眼」の前提になっているような気もしないでもない。あんまり「追悼」になっているようにも思えないのだけれど。
何であれ、自分たちの席の後ろの方には唐の元妻であり、大鶴義丹の母である李麗仙も発見出来たし、唐兄妹の共演も観られたしというわけで、唐十郎の正統追随者と彼の血族が醸しだす雰囲気にたっぷりと浸り、かってのアングラ小劇場のノルスタジアを再体験し抜くことが出来た日曜日の夜なのだった。
2014年6月23日月曜日
2014年6月2日月曜日
水族館劇場「嘆きの天使」
友人から一週間ほど前、水族館劇場という聞いたことのない劇団が三軒茶屋近くの神社の境内でテント公演をするから見に行かないかというお誘いがある。日曜日の夕方という日程に多少難点はあったものの、どうせすることもない身、ついていくことにした。
はじめに書いてしまうのだが、この劇団、出自は博多方面にあるらしい。それと関係があるのかないのか、とにかく時間感覚がのんびりしている。まず夕方5時半に集合して整理券を貰い、座席を確保する。芝居小屋周辺でプレイベントが始まるのがなんと7時。
お神楽みたいな出し物に始まり、芝居の中身のさわり部分がごちゃごちゃと繰り広げられ、やっと小屋に入場。実際に芝居が始まるのはほとんど8時である。舞台は10時頃には終わるのだが、何だか夕方から半日ずっと芝居に付き合っていた気分だった。
芝居の中身はというと、なんとこれが永山則夫を鎮魂する話なのである。いったい、この芝居を見に来た連中の何割が永山則夫を知っているだろう。手法は60年代後半以降のアングラ芝居の常套手段、種々のイメージの重ねあわせというやつ。時代や権力にまつろわぬ、漂泊の民の歴史の一コマとして永山の悲劇をかさね合わせていくのである。正直言って切り口に手垢がつきすぎていて今ひとつ。
その手垢を洗い落とす手段というわけなのであろうか、この劇団が用意したものは実に大掛かりな大道具。流れ落ちる水、吹き上がる水、水、水、水のオンパレードである。惜しむらくはそれが要所で時々無意味に溢れだすばかりで、余りイマジネーションを掻き立てる方向に繋がっていないのがまことに残念。
こんな無駄なことに(ゴメン)、命をかけて頑張っている人々がいるんだなぁ、ひょんなことから努力が報われるようなことになればいいのになぁと、そればかり念じながら深夜に帰宅し、疲れ果てて寝てしまった。それにしても、あれは噴水劇場ではあったが、水族館劇場ではなかったなというのが寝付く前の最後の感想。
はじめに書いてしまうのだが、この劇団、出自は博多方面にあるらしい。それと関係があるのかないのか、とにかく時間感覚がのんびりしている。まず夕方5時半に集合して整理券を貰い、座席を確保する。芝居小屋周辺でプレイベントが始まるのがなんと7時。
お神楽みたいな出し物に始まり、芝居の中身のさわり部分がごちゃごちゃと繰り広げられ、やっと小屋に入場。実際に芝居が始まるのはほとんど8時である。舞台は10時頃には終わるのだが、何だか夕方から半日ずっと芝居に付き合っていた気分だった。
芝居の中身はというと、なんとこれが永山則夫を鎮魂する話なのである。いったい、この芝居を見に来た連中の何割が永山則夫を知っているだろう。手法は60年代後半以降のアングラ芝居の常套手段、種々のイメージの重ねあわせというやつ。時代や権力にまつろわぬ、漂泊の民の歴史の一コマとして永山の悲劇をかさね合わせていくのである。正直言って切り口に手垢がつきすぎていて今ひとつ。
その手垢を洗い落とす手段というわけなのであろうか、この劇団が用意したものは実に大掛かりな大道具。流れ落ちる水、吹き上がる水、水、水、水のオンパレードである。惜しむらくはそれが要所で時々無意味に溢れだすばかりで、余りイマジネーションを掻き立てる方向に繋がっていないのがまことに残念。
こんな無駄なことに(ゴメン)、命をかけて頑張っている人々がいるんだなぁ、ひょんなことから努力が報われるようなことになればいいのになぁと、そればかり念じながら深夜に帰宅し、疲れ果てて寝てしまった。それにしても、あれは噴水劇場ではあったが、水族館劇場ではなかったなというのが寝付く前の最後の感想。
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