チケットが余ったからと、友人から只で提供してもらえる事になり、それも土曜日の夕方というグッドタイミング、遠慮もなく久々の観劇に出かけた週末である。
場所は新国立劇場。新宿駅から京王新線でひと駅の初台駅から専用通路があるというリッチな作り。箱物文化をバカにしてはいけません。便利さ故に早くつきすぎてしまい、劇場内のイタリアンレストランでまず夕食。
大層な名前がついた広いレストランなのだが、客がいない。悪い予感というか、デジャブ感にとらわれる。出てきた料理をひとくち食べて、あまりの不味さに思い出した。この劇場に来たのは二回目で、初めての時もこのレストランで食事をし、その不味さに辟易したのをころりと忘れていたのだった。
おのれの記憶力の衰えに悪態をつきつつ友人と落ち合い、劇場内へ。席は一回ホールの最後方だが広い舞台を見渡せる絶好の位置である。小劇場のテント芝居なんかでは席に収まること自体に多大の苦痛と困難があるものだが、さすが新国立劇場、座席も実に快適。
お芝居は18世紀イタリアの喜劇作家カルロ・ゴルドーニの作品をかの三谷幸喜がアレンジしたもので、18世紀のシチュエーション・コメディをどんな風に料理するのかが興味あるところ。昔々、ミラノ・ピッコロ座という劇団によるゴルドーニの芝居を観た時には(TVで観たんだけれど)、狂言廻しの要となる道化役、アルレッキーノ役者の身体能力に驚嘆したものだった。その時の驚きが幾らかは再体験できるかなという期待があったのだが、結果としては少々微妙であった。
夫を失ったばかりの美しい未亡人に4人の求婚者が恋の鞘当てを繰り広げ、未亡人も彼らの本心を知ろうとベネチア仮面舞踏会を利用して策略をつくすという元の話を、三谷はベネチア映画祭を舞台に、夫の死を期に再復帰を狙う往年の大女優(大竹しのぶ)と、4人の映画監督による勧誘合戦に置き換えている。判りやすくなって宜しいとも言えるが、翻案とはいえどうせ古典作品、不自然なところがあるのは仕方なく、なんだか違和感が残るのは致し方無い。
大女優や監督たちが泊まっているホテルの支配人代行のアルレッキーノを演じた八嶋智人は、八面六臂の活躍で物語を進めていくのだが、やはりピッコロ座の道化役者と比べてしまうので迫力に欠けると言わざるをえない。まああれだけ頑張ればよしとするべきか。細かなことはあれ、座席の快適さ、俳優陣の多彩さ、何よりチケットが只だったということが最大の理由で、まずまず楽しめた週末の夜だった。
2014年7月20日日曜日
2014年7月1日火曜日
誕生日
Googleの画面ロゴがまた変わっており、マウスオンしたら私への誕生日祝いのメッセージが出るようになっていた。そういえば昨年もこれに気がついてなにか書いたような気がする。
最近、日々そのものが過ぎていく感覚が何故か遅くなり、ましてや給料日が来るのはいつのことなんだと思わせるほど一ヶ月までは長いのだけれど、2〜3ヶ月ぐらいのまとまった時間になると、すぐに過ぎ去ってしまうという不思議な時間感覚にとらわれるようになった。ましてや一年なんかあっという間である。
歳を取れば時の過ぎるのが早くなるというのは誰もが言い、たしかに私もそう感じるのだが、短い時間に関しては逆に感じるようになったわけである。仕事場でふと暇になり、30分後に別のスケジュールがあるなんて時、どうその30分を潰すか困惑してしまうこともしばしば。
読みかけのミステリ小説をポケットに入れておくというのも一時やってみたが、あまり人前で堂々とやれることでもなく、そう面白い小説が沢山あるわけでもないので、すぐにネタ切れになってしまうのが欠点。「カラマーゾフの兄弟」でも読めばかなり時間潰しは出来そうだが、それはちょっとね。
とにかく、時間感覚の非直線化という奇妙な現象が、ボケや老人性精神障害の前兆でないことを祈りつつ、日々を何とか乗り切っていくしかない。多分あっという間に来年の今頃がやってきて、また同じようなことを書くことになるのだろう。それがとんでもない楽観だったのだと思うことにならないよう、ささやかな現状が維持されることを念じるしかない。
最近、日々そのものが過ぎていく感覚が何故か遅くなり、ましてや給料日が来るのはいつのことなんだと思わせるほど一ヶ月までは長いのだけれど、2〜3ヶ月ぐらいのまとまった時間になると、すぐに過ぎ去ってしまうという不思議な時間感覚にとらわれるようになった。ましてや一年なんかあっという間である。
歳を取れば時の過ぎるのが早くなるというのは誰もが言い、たしかに私もそう感じるのだが、短い時間に関しては逆に感じるようになったわけである。仕事場でふと暇になり、30分後に別のスケジュールがあるなんて時、どうその30分を潰すか困惑してしまうこともしばしば。
読みかけのミステリ小説をポケットに入れておくというのも一時やってみたが、あまり人前で堂々とやれることでもなく、そう面白い小説が沢山あるわけでもないので、すぐにネタ切れになってしまうのが欠点。「カラマーゾフの兄弟」でも読めばかなり時間潰しは出来そうだが、それはちょっとね。
とにかく、時間感覚の非直線化という奇妙な現象が、ボケや老人性精神障害の前兆でないことを祈りつつ、日々を何とか乗り切っていくしかない。多分あっという間に来年の今頃がやってきて、また同じようなことを書くことになるのだろう。それがとんでもない楽観だったのだと思うことにならないよう、ささやかな現状が維持されることを念じるしかない。
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