2014年4月27日日曜日

サイド・エフェクト

日曜日なのに、法定義務のカルテ所見記載当番に当ってしまい、ほぼ半日出勤。帰って掃除と洗濯をすれば他にやることもなく、仕方なくiTuneストアでビデオを借りて視聴。今日は精神科医物スリラー、「サイド・エフェクト」。

「サイド・エフェクト」とは副作用のことで、主人公の精神科医が自分が処方した抗うつ剤の、思わぬ副作用による騒動に巻き込まれるという、人ごとではないお話である。とても楽しく観られるような内容ではないが、たまには冷や汗が出るような話もよかろうかと観てみる。

28歳のエミリーは株屋の夫がインサイダー取引で収監されたストレスからかうつ状態となり、治療を受け始め、一旦は回復していた。しかし夫が釈放されてからまた再発し、バンクス医師を受診する。一般的な抗うつ剤は副作用ばかりでさっぱり効果がなく、エミリーは友人が使っていた新薬を使うように希望する。

新薬は切れ味よくエミリーの状態を改善したが、夢中歩行という副作用が出現する。夜中に料理を始めて、夫が話しかけても返事もせず、後でまったくそれを記憶していない。バンクス医師は薬物中止を提言するが、エミリーはここまで良くなったのだからと認めない。夢中歩行中の行動が妙に趣旨一貫していて、一寸違和感があるのだが、結局それが鍵であることが判るので、少々興ざめ。

エミリーはある日もうろう状態で夫を刺殺してしまい逮捕される。バンクス医師も、副作用を知りながら漫然投与していたことで法的責任を問われかけ、マスコミからも厳しく追求される。さてこれからどう展開するのか、まさか向精神薬はすべて悪というサイエントロジー系のキャンペーンになったりすることもないだろうし、スリラーとしての展開があるとしたらあれだけだろうな、と言う方向に話はどんどん進む。

どんでん返しとは言えない方向で全然違う向きに進み、どうも検察や弁護人の法的取引もそれを手助けしているようで、バンクス医師の窮地がどうなるのかというハラハラドキドキがどこかに消えてしまう展開になるのがまことに残念。最後、エミリーに待っている運命も何だかよく判らない。前医役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズは悪女顔過ぎて、こういう意外な展開を狙った物語には向かないような気がする。

エミリー役のルーニー・マーラ、どこかで見た人だと思ったら、ハリウッド版「ミレニアム」でリスベット・サランデルをやった人だったんですね。タトゥーとピアスじゃらじゃらのイメージだったので全然判らなんだ。

2014年4月24日木曜日

ロング・グッドバイ

私は滅多にテレビを観ないのだが、たまたま先週土曜日の夜にニュースでも観ようかとテレビをつけたら、NHKでレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の翻案ドラマが始まるところであった。

舞台をロスから東京と思しき当たりにうつし、時代設定はほぼ同じ1950年代初め。当然登場人物は皆日本人。フィリップ・マーロウ役は浅野忠信演じる増沢磐二と言う私立探偵。テリー・レノックス役は綾野剛と言う若手。結構有名な俳優らしいが私は全然知らない。

正直言って大丈夫かいなと思って見始めたのだが、これがなかなかサマになっている。適度なお洒落さと汚れを共存させた戦後都市の造形がTVとは思えぬ重厚さだし、音楽も決まっている。5回で完結するらしいが、もったいないことである。DVDが出るなら買っておきたいと思わせる出来。もちろん、一回目の質が今後も維持されればの話だが。

ロング・グッドバイは「長いお別れ」と言う題名で清水俊二によって原作発表直後には訳されていたが、2007年にかの村上春樹が新しく訳し直している。私がチャンドラーにハマったのは大学生の頃で、清水訳にどうもあきたらず無謀にも原著に挑戦したが、当然のごとく途中で挫折している。

正確さという点では後から訳した村上春樹訳の方がかなり上なのは当たり前で、何度もノーベル賞候補が噂される作家のこと、ブンガク的雰囲気も素晴らしいのだが、ことハードボイルド文体と言う点になると清水訳が捨てがたいと思うのは、初めにそちらを読み、何度か繰り返して読んだからだろう。

最も私は、読むたびに筋も登場人物も忘れ、いつも新鮮な感覚で物語に接するばかりか、乏しい記憶の中ではテリー・レノックスと大鹿マロイがごっちゃになってしまったりするので、文体だの訳の正確さなんか関係ないんですがね。

2014年4月13日日曜日

ナイン・ドラゴンズ

どうも最近まるきり何もやる気が出ず、仕事はなんとか仕方なくこなしてはいるものの、休みの日など家の外にでるのも面倒で、身の回りのことを済ませるとただぼんやりと時間を過ごすばかり。これではイカンと、せめてミステリでも読もうとアマゾンでマイケル・コナリーの新作「ナイン・ドラゴンズ」を注文。結局上下2巻を一日で読んでしまった。

コナリーは毎年一作は長編を出す多作家だが、翻訳が間に合わず、この「ナイン・ドラゴンズ」も新作と言いながら2009年の作品である。まだ6作ほど未翻訳があるがそれらの出版は何時の事になるのやら。一度待つのに疲れて原著を買ったことがあるが、さすがに全部は読みきれなかった。

コナリーのミステリは翻訳されたものは全部読んでいるのだが、なんでそんなに気に入ったのかというと、メインのシリーズが、ヒエロニムス・ボッシュという名前のロス市警刑事を主人公にした警察小説だったから。あの初期フランドル派の画家と同じ名前なのである。聖書から題材をとって、化け物や堕落した人間たちであふれた特異な絵を描く画家である。

もう何年前になったろうか、マドリードのプラド美術館で彼の代表作「快楽の園」を、その意外に小さなサイズに驚きながら、長い間眺めていたことを思い出す。そこに描かれた快楽の罪に浸る人々はただ恍惚に酔いしれており、地獄で化け物達に永遠の責め苦を負わされることなどまったく意に介していないように見えた。中世の人々もこの絵を見て罪におそれおののくというより、快楽への渇望に浸っていたのではないかと思ったものだった。

そんな名前の刑事が出てくるぐらいだから、シリーズに出てくる犯罪者たちは一筋縄ではいかない罪への耽溺者ばかりで、それに対してボッシュが独自の論理と倫理を駆使して、警察組織の自己保身勢力に足を引っ張られながらも戦っていくという内容だった。読後のカタルシス感はまことに爽快で、現代ミステリでは一番のお気に入りなのである。一連の小説にはボッシュシリーズから派生した別主人公物もあり、それはそれなりに面白いのだが、やはりコナリーの真骨頂はこのヒエロニムス・ボッシュ刑事シリーズと言える。

今回は酒屋の中国系老店主が射殺されるという事件が発端となり、ボッシュはアジア系犯罪ユニットの中国系刑事と協力しながら捜査を進めていくことになるのだが、店主が香港の犯罪組織・三合会にみかじめ料を払っていたことが判明し、集金係の男に疑惑がかかる。その過程でボッシュにはアジア系の訛りで脅迫電話がかかり、捜査情報の内部漏洩疑惑が生じる。

この時点で、あれ、警察内部以外にももう一つルートがあると普通は考えるのではないかなと私は思ったのだが、何故かボッシュは疑心暗鬼となり、中国系刑事や協力する所轄署アジア系警察官まで疑い始める。しかも、ボッシュの別れた妻と13歳になる娘は香港で暮らしており、ボッシュのもとには娘を拉致したというメール映像が送られてくる。

ボッシュは三合会による誘拐と確信し、メール画像の分析から娘の居場所を推理し、単独で香港に向かい、別れた妻の恋人でもある男と協力しながら娘を救出しようとする…、というのが大枠の内容。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、大きな犠牲を払いながらも見事娘は救出され、事件も完全に解決する。いささか松竹新喜劇風の「偶然の一致」と言う要素が多いのが難点で、私が前半に感じた疑問が結局この事件の鍵だったことも判る。

実質一日の間に太平洋を端から端まで往復して、事件を解決に導いたボッシュの活躍は素晴らしいのだが、今回は正直いってあまり読後のカタルシス感は高いものではない。ボッシュが警察内部の情報漏洩を疑い、事件をわざわざ困難なものにしてしまった理由は、ただただ中国というか、アジア全般に対する不信と偏見にすぎないのである。娘の誘拐ということを除けば、今回の事件はボッシュとは無関係に、あるハイテク捜査技術だけで解決できている。

その意味では、今回のボッシュの活躍は娘を東洋から西洋に奪還したと言う一点であり、確かに娘の命は救われはしたのだが、いささか複雑な思いに捕らわれてしまう結末だった。題名のナイン・ドラゴンズは香港の九龍半島から取られたらしい。中日ドラゴンズのナインとは無関係なのでご注意を。