本箱の片隅に忘れられていた池田清彦のエッセイ集、「やがて消え行く我が身なら」を発見。侘び寂びの極致かと思える題名は、秋雨のはしりのような冷たい雨の降る日に読むにはまことにふさわしいと数時間で読了。
ここのところ村上春樹ばかり読んでいて、赤裸々な性と生の描写にいささか辟易しかけていたのもあって、池田氏の軽妙というか、投げ遣りというか、面倒くささとやる気のなさが力強く伝わってくる文体に心安らぐものを感じてしまう。
氏は明石屋さんまが司会をやっている「ホンマでっか!TV」のメインコメンテーターをつとめておられるのでご存じの方も多いであろう。普段はTVをほとんど見ない私も、あの番組だけは3回に1回ほどは見ている。お目当ては池田氏その人。昔、この人の「構造主義生物学」という立場の著書をほとんど読みつくしたことがあるのだ。どんな風貌の人なのだろうと思っていたら、大滝秀治とほとんど区別がつかなかった。しゃべり方はまったく違いますが。
なかなかの特異的学究なのだが、どこか脱力したところのあるその学問的態度も好ましければ、私が自分なりに精神症状や対人関係病理を構造主義的に捉えようとしてきた努力をより一般的な立場から解説してくれているように感じたのがハマった原因。私の構造主義的精神医学は手抜き(効率的とも言う)臨床をすすめる上で実に役立ったが、ねっからの怠け者である私はまとまった形にして発表することは結局出来なかった。
さて、「やがて消えゆくー」の内容であるが、他人の権利を侵害しない限り、人は好きなことをする自由があり、国家や社会はそれを守る制度を作るべきだというリバタリアン(オバタリアンではない)としての池田氏の視点から、様々なことに触れたものとまとめるしかない。といっても彼の生物学者としての基本になっている虫取りの話とか、生と死についての話題が多いのは当然。
人はいずれ死ぬのだから、今日を面白く生きることに傾注しよう。金をためたり仕事をしたり、拳を振り上げて人に自分の情緒を吹き込んだりするヒマなんかないよ、という結論につながる話が最初から最後まで目白押しと思って頂ければいい。そもそも「面白い」とはどういうことかという疑問にも、たしか答えていたんではなかったかな。もちろん、そんなものは人それぞれなので、多少はぐらかされるのは致し方無いけれど。
2014年8月27日水曜日
2014年8月3日日曜日
1Q84
私は村上春樹の絶大なファンと言うわけではないが、読めば確実に面白く、それなりに考えさせられるところ大な作品を生み出し続けている人だとは認識している。しかし社会現象的に売れる理由まではわからない。古本や文庫で安く買えれば読んでおこうと思う程度。
2009年にこの本が出た時、私は題名を”IQ84"だと勘違いし、やや低めに位置する知的能力のフイルタで見る世界の相貌といった趣向の小説なのだろうと勝手に決めていた。よく見れば一字目がIではなく1であった。活字のニュースだけ見ているととんでもない間違いをすることもある好例であろう。
”1Q84"には当然ジョージ・オーウェルのディストピア小説"1984"も下敷きになっているのだろう。ビッグ・ブラザーならぬリトル・ピープルなんてのが出てくるとこからもそう予想して読んでいったのだが、ユートピアを求める団体との関係が大きなモチーフになってはいるものの、それがメインのテーマではないようだ。
一言で言えば間違って入り込んでしまった世界からの脱出譚というパラレルワールド物SFだ、と言うのはあまりに乱暴なまとめになるが、その活劇ストーリーを追いながら個々のシーンでの村上春樹独特の洒落た文体と描写を楽しめたので、まあ充分以上の商品価値を与えてもらえたことになろうか。
疑問点を上げれば、なんで作者はそう必然性があるとも思えないのに、あれだけ克明なポルノ描写を重ねないといけないのだろうかという点。私のような純情老人見習い期をのほほんと過ごしている読者には、そこがいささか居心地の悪さを感じさせるところである。まさか、人がコソコソせずに堂々とポルノを読めると言う理由でベストセラーになったのではないだろうね。
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