2014年8月27日水曜日

やがて消え行く我が身なら

本箱の片隅に忘れられていた池田清彦のエッセイ集、「やがて消え行く我が身なら」を発見。侘び寂びの極致かと思える題名は、秋雨のはしりのような冷たい雨の降る日に読むにはまことにふさわしいと数時間で読了。

ここのところ村上春樹ばかり読んでいて、赤裸々な性と生の描写にいささか辟易しかけていたのもあって、池田氏の軽妙というか、投げ遣りというか、面倒くささとやる気のなさが力強く伝わってくる文体に心安らぐものを感じてしまう。

氏は明石屋さんまが司会をやっている「ホンマでっか!TV」のメインコメンテーターをつとめておられるのでご存じの方も多いであろう。普段はTVをほとんど見ない私も、あの番組だけは3回に1回ほどは見ている。お目当ては池田氏その人。昔、この人の「構造主義生物学」という立場の著書をほとんど読みつくしたことがあるのだ。どんな風貌の人なのだろうと思っていたら、大滝秀治とほとんど区別がつかなかった。しゃべり方はまったく違いますが。

なかなかの特異的学究なのだが、どこか脱力したところのあるその学問的態度も好ましければ、私が自分なりに精神症状や対人関係病理を構造主義的に捉えようとしてきた努力をより一般的な立場から解説してくれているように感じたのがハマった原因。私の構造主義的精神医学は手抜き(効率的とも言う)臨床をすすめる上で実に役立ったが、ねっからの怠け者である私はまとまった形にして発表することは結局出来なかった。

さて、「やがて消えゆくー」の内容であるが、他人の権利を侵害しない限り、人は好きなことをする自由があり、国家や社会はそれを守る制度を作るべきだというリバタリアン(オバタリアンではない)としての池田氏の視点から、様々なことに触れたものとまとめるしかない。といっても彼の生物学者としての基本になっている虫取りの話とか、生と死についての話題が多いのは当然。

人はいずれ死ぬのだから、今日を面白く生きることに傾注しよう。金をためたり仕事をしたり、拳を振り上げて人に自分の情緒を吹き込んだりするヒマなんかないよ、という結論につながる話が最初から最後まで目白押しと思って頂ければいい。そもそも「面白い」とはどういうことかという疑問にも、たしか答えていたんではなかったかな。もちろん、そんなものは人それぞれなので、多少はぐらかされるのは致し方無いけれど。

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