先月から結構な数のミステリを読んだのだけれど、そのほとんどがハズレだった。中にはずっと贔屓にしていたシリーズ物の新作もあったのに、それも今ひとつだったのは極めて残念なことだった。今度新作が出てももう買わないだろうな。
そんな中、ほとんど期待しないで読んだのだが予想を超える面白さだったのがこれ。なにせ表題からして「駄作」である。アマゾンでは本日の時点で8人がレヴューを投稿しているが5人までが星ひとつ。罵詈雑言の集中砲火を浴びている。
そんな低評価の作品をなんで読んだかといえば、作者のジェシー・ケラーマンが、10数年前に結構ハマったシリーズ物ミステリ作家の息子であると知ったから。両親共にミステリ作家で、特に父親は小児臨床心理学の専門家という経歴を持ち、変態シリアルキラーが出てくる内容を手堅くソフトにまとめる手腕で知られるジョナサン・ケラーマンなのである。
ペンネームも使わず、堂々とファミリーネームで執筆するからには、きっと自負するところがあるからだろうと勝手に推測し、二分冊になってもおかしくない厚みの、文庫本ながら千円以上する新刊をエイやっと気合を入れて注文する。ついでにどこかに行ってしまった両親の本も何冊か注文したが、もう古本でしか手に入らなくなっており、諸行無常を覚えたものだった。
内容は売れない純文学作家が、ベストセラー作家になった友人の葬儀に招かれ、その仕事場で未完のミステリ原稿を発見する。それをこっそり持ち帰り、少々書き換えて出版したところ大当たり。たちまちベストセラー作家の仲間入りをするのだが、二作目が書けない。呻吟していたところに思いもかけない申し入れをする人物が現れ、その理由というのが奇想天外なものだった…、というもの。
途中からは想像力の彼岸に達しているというしかない展開になり、ちょっと脱抑制にも程が有るのではという部分もあるのだが、呆れ果てながらも読み続けるしかない。馬鹿馬鹿しいまでの逸脱プロットながら、なぜ常套句で満ち溢れた通俗小説が売れ、地道な文学的営為を積み重ねた真面目な作品は評価されないのか、という作家の視点がベースになっており、通俗小説の形を借りた通俗小説批判と言えるかもしれない。
作者はこんなシニカルな眼で親父たちの作品群を眺めていたんですかね。巻末の略歴だけではその人となりは詳しくわからないが、そうグレた青春を送った様子もなく、程々に文学芸術と売文業を両立させている人のように思える。なんであれ、これまでの快適な人生前半を可能にしてくれた通俗小説に文句がある筈はないですわな。
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