2014年2月27日木曜日

ヴァインランド

またも半月かけてトマス・ピンチョンの第4作目の長編小説「ヴァインランド」を読み終える。先月、おなじピンチョンの「重力の虹」をやっとこさ読み通したばかりだというのに、懲りないというか、我ながらご苦労なことである。

最も「ヴァインランド」の方は小説としての長大さと難解度はかなり「重力の虹」を下回り、読みやすいと言えないこともない。それなのに半月もかかってしまったのは、60年代から80年代なかばという時代設定のもと、やたらに引用されるポップやスタンダード・ミュージックのトリビアを実感しようと、しょっちゅうYouTubeを参照しながら読んでいたからに他ならない。

読みやすいとは言うものの、予告なくしょっちゅう入れ替わる記述視点とか、時間軸の移動は相変わらずで、同じ人物が別の場所、別の時間で一連の動作をしているように勘違いする場面も数多い。今回目立つのが夢と現実の混交で、どこからが夢と現実の境目なのか判らなかったりする。藤原定家の「春の夜の 夢の浮き橋 とだえして峰に別るる 横雲の空 」の心境。作者は本当に定家を意識してたりして。

話の中身は60年代のカウンターカルチャー運動の活動家女性と、彼女を愛人かつ協力者にしたてていたFBIの辣腕検事の関係を軸にして、彼女を助けようとする女忍者、その忍者に間違われて秘技「一年殺し」を掛けられそうになったのが縁でパートナーとなるカルマ矯正を仕事とする元特攻隊員の妙な日本人、そして彼女の元夫とその娘、その元夫にまとわりつくTV依存症のメキシコ人刑事などが織りなす話、としか要約できない。多分何だか分からぬままに終わるんだろうなと思っていたのだが、それなりにハッピーエンドと言えないこともない結末が用意されていたのが意外だった。

相変わらず、意味ありげに登場しながら何のこともなく消えていくキャラ群も数多い。まあ、ミステリー小説みたいに最後はすべて種明かし、なんてことは現実にはないわけで、この饒舌と混乱と矛盾に終始する小説こそ本来の意味での「自然」を体現しているのかもしれない。

2014年2月14日金曜日

"Fake Snow"陰謀説

米国では最近「政府は地球温暖化問題から国民の目をそらすため、作り物の雪を各地で降らせている」という陰謀告発が流行っているそうだ。

YouTubeには庭に積もった「雪」が本物ではないことを証明していると称するホームムービーが数多くアップされている。”Fake Snow"で検索されたい。

何故本物でないかと言えば、100円ライターで雪の塊に炎を当てても溶けないというのがその理由。そのまま炎を当て続けていると「雪」の表面は黒くなってきて、悪臭がするのだそうだ。政府機関がプラスチックの原料を空から撒いて、一見雪のように見せていると言うのである。

雪はたっぷり空気を含んでいるのでガスライター程度の火力ではなかなか溶けず、溶けても周りの雪に染み込むので、氷を溶かすときのように水がぼたぼたあふれるようなことはない。黒くなるのはライターの炎のすすがついているからで、プラスチックの雪が焦げたのではないのは誰にも判ること。悪臭がするのはガスの匂いであるのもこれまた道理。

そんな当たり前のことを無視して、政府の陰謀を告発しても、環境問題に関心がある人々の資質を疑わせる材料になるだけで、むしろこういう主張自体が一種の反環境問題陰謀に加担する意図的な動きなのではないかとまで思ってしまう。

救われるのはYouTubeにもこうした道理を欠いた偽雪陰謀論を批判するムービーがほぼ同数近くアップされていることで、世の中騙されやすい人ばかりではないと一安心。日本の首都圏でも大雪が続いているが、「あれはプラスチックの偽雪だ」などという主張が我が国では全く見られないのは、ひとまず寿いでおくべきかな。

2014年2月6日木曜日

エリジウム

今日は平日休みだったのだが、何時職場から呼び出されるともしれず、何よりあまりの寒さに一歩も家をでることなく過ごしてしまった。

患者さんには外に出て運動しようと勧めているのに、えらいダブルスタンダードである。それを知りつつiTuneで「エリジウム」をダウンロード視聴したのが唯一の対社会的行動。

第9地区」という、宇宙人が地球に難民としてスラムで暮らす作品で有名になったニール・ブロムカンプ監督の第二作目。一作目は逆転発想と言って褒めそやされるのだが、もうちょっと前に同じ発想の映画があった。確か邦題が「エイリアン・ネィション」で、エイリアンが刑事になって、エイリアン移民に関わる事件を捜査する話だった。

そんな訳で「第9地区」にはそれほど新発想という印象はなく、確かに都市スラムの描写は上手だったのかな、と言う印象しか残っていない。その上、この第二作目のスラム映像化はエリジウムという超富裕層が住む宇宙ステ-ションとの対比を目的にしているためか、今ひとつ常同的である。あれなら上野-北千住間の景観のほうが趣がありそう。

脚本はあちこちにかなり穴があり、相当暖かい目で見てやる姿勢が必要で、ありがちなストーリーにつなぐためにはあれでいいよねと、自分で一所懸命納得しないといけない部分が数多い。スラムを撮らせれば言うことなしのこの監督も、近未来超富裕層居住地の描写は今ひとつというにもお粗末。

それでもこの手の映画をを観てしまうのは、マルクスが予言した窮乏化理論、富裕層と貧困層の絶対的分化がそう現実化していないことを確認して、胸をなでおろしたいからなのかもしれない。単に認識が甘いだけなのかもしれないれど。

2014年2月2日日曜日

Groundhog day

今日2月2日は米国とカナダの一部で催される季節行事、グラウンドホッグ・デイである。行事として一番有名なのがペンシルバニア州パンクサトーニー市で開かれるもので、普段は静かなこの町に多くの人が集まり、町外れの木の根っ子に住むグラウンドホッグ(地リスと呼ばれる齧歯類)のフィルを訪問し、冬が後何日続くか尋ねるのである。

その時フィルが自分の影を見たら冬はあと6週間続くが、そうでないと春はすぐそこに来ている、と判定される。この判定が間違っていたことは無いそうで、全米のお天気メディアや物好き人間がこの日、パンクサトーニーに集まり、フィルの御託宣を聞く。要は当日が春先の曇り空の日かどうか、ということがその根拠らしい。

この季節行事の循環する時間というイメージに乗っかって作られたのが1993年のアメリカ映画、「恋はデジャ・ブ」である。原題は"Groundhog day"で、こっちのほうがよっぽど簡潔にして判りやすいのだが、馴染みのない行事名では売れないと判断して、こんな悲惨な邦題になったのだろう。どうせなら「アメリカ節分奇談」ぐらいでもよかったかも。

話は単純で、メジャー指向で嫌われ者の地方局の天気キャスター、フィル(ビル・マーリー)が嫌々グラウンドホッグ・デイの取材にきたところ、永遠に繰り返す2月2日の中に閉じ込められてしまう。様々な努力をするものの、逃れ出ることは出来ない。ビルから飛び降りて自殺してしまっても、結局2月2日の朝6時に元のホテルで目覚めてしまうのだ。

この機会にと、以前から恋心を抱いていたプロデューサーのリタを籠絡しようと様々な努力を繰り返すが、これも全くうまくいかない。何度も繰り返して知り抜いた街中の人々の行動スケジュールを利用して、銀行の現金輸送車の金を奪って、派手な金遣いもしてみるが虚しさは増すばかり。

やがてフィルは繰り返す時間の中で知った町の人々の行動パターンをもとに、彼らに対する無私の奉仕に徹することにする。その結果彼はリタの愛も得て、繰り返す時間もまた普通に流れ始める。そんな他愛もない話なんだが、何故か私はこの映画が好きで、年に3回以上DVDで見る。人が流れる時間を生きながら、繰り返す時間の中に生きているような錯覚を持っていることを、意外な方向から思い起こさせてくれるからである。

さて今年の本家フィルの御託宣は…、と思ってパンクサトーニー市が作っているサイトを覗いてみたがまだ結果が書かれていない。時差のため一日遅れるのを忘れていた。結果は明日追記ということに。まあ、春が近いか遅いかが分かったって、所詮アメリカ北部の話なんだけけど。

追記:先ほど出たばかりのフィルの御託宣は、"Six more weeks of winter". 春はまだまだ先のようです。少なくともアメリカ合衆国ペンシルバニア州では。