またも半月かけてトマス・ピンチョンの第4作目の長編小説「ヴァインランド」を読み終える。先月、おなじピンチョンの「重力の虹」をやっとこさ読み通したばかりだというのに、懲りないというか、我ながらご苦労なことである。
最も「ヴァインランド」の方は小説としての長大さと難解度はかなり「重力の虹」を下回り、読みやすいと言えないこともない。それなのに半月もかかってしまったのは、60年代から80年代なかばという時代設定のもと、やたらに引用されるポップやスタンダード・ミュージックのトリビアを実感しようと、しょっちゅうYouTubeを参照しながら読んでいたからに他ならない。
読みやすいとは言うものの、予告なくしょっちゅう入れ替わる記述視点とか、時間軸の移動は相変わらずで、同じ人物が別の場所、別の時間で一連の動作をしているように勘違いする場面も数多い。今回目立つのが夢と現実の混交で、どこからが夢と現実の境目なのか判らなかったりする。藤原定家の「春の夜の 夢の浮き橋 とだえして峰に別るる 横雲の空 」の心境。作者は本当に定家を意識してたりして。
話の中身は60年代のカウンターカルチャー運動の活動家女性と、彼女を愛人かつ協力者にしたてていたFBIの辣腕検事の関係を軸にして、彼女を助けようとする女忍者、その忍者に間違われて秘技「一年殺し」を掛けられそうになったのが縁でパートナーとなるカルマ矯正を仕事とする元特攻隊員の妙な日本人、そして彼女の元夫とその娘、その元夫にまとわりつくTV依存症のメキシコ人刑事などが織りなす話、としか要約できない。多分何だか分からぬままに終わるんだろうなと思っていたのだが、それなりにハッピーエンドと言えないこともない結末が用意されていたのが意外だった。
相変わらず、意味ありげに登場しながら何のこともなく消えていくキャラ群も数多い。まあ、ミステリー小説みたいに最後はすべて種明かし、なんてことは現実にはないわけで、この饒舌と混乱と矛盾に終始する小説こそ本来の意味での「自然」を体現しているのかもしれない。
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