2015年12月27日日曜日

防災無線の都市伝説

多分、大概の所でも同じだと思うが、私の住む街には、防災無線と呼ばれる広報装置の鉄塔があちこちに立っている。市役所が管理していて、市民に緊急の連絡がある時、それを通じて知らせるのである。

この街は海沿いでもあり、地震や津波情報、避難命令などが主な目的とされているのだろう。とは言うものの、普段は午後四時半頃に「夕焼け小焼け」のメロディーが流れ、良い子に帰宅を促す程度の使われ方である。

そんな防災無線であるが、気象情報、地震情報の間をぬって時たま聴かれるのが「行方不明者のお知らせ」。それも家出した中学生を探すのではなく、認知症を患っていると思われるお年寄りに関するお知らせである。ほとんど夕方、薄暗くなりかけてから放送される。

曰く、今朝早くからどこどこに住むxx歳の女性/男性が行方不明になっていると前置きし、身長や風貌、服装などについて簡単な説明があり、心当たりの人は最寄りの警察署に連絡して欲しいと続く。名前や詳しい住所は知らされず、あれで本人確認出来るのかねと心配してしまう。

私の街の防災無線は放送内容をツイッターに流していて、それを見るとこの9月からの約4ヶ月の間、210件ほどの放送(そのほとんどが気象警報や地震の通知)
があり、そのうち行方不明老人についての放送は12件である。全てがツイッターに投稿されているとは限らないが、月に3回は老人が行方不明になっている勘定である。

基本的には数時間後、そうでなくても翌日には発見されたとアナウンスされ、めでたしめでたしとなることが多い。しかしこの時の言い方に微妙な差があり、それが実際の転帰を暗に示しているのだ、と言うのが主婦たちに噂されていると複数の女性職員が教えてくれた。

というのが「無事に保護されました」と言われる場合と、「発見されました」とさらりと言うだけの場合があり、後者は「行方不明者は死んでいた」という意味なのだと。しかし、徘徊のあげく交通事故にあったり、海や川に落ちて溺死というのは聞く話ではあるがそんなに多いことなんだろうか。

警察庁が昨年秋に認知症に関する省庁連絡会議用に作った資料(PDF)をみると、平成25年度に認知症関連で行方不明となり届け出られた人数は10322人。そのうち所在が確認されたのは10088人である。ただ、警察庁は388人の死亡者も所在確認にカウントしている。行方不明のままの人は151人おり、身元が不明のまま施設などで保護されている少数の人以外はまず死亡しているだろうから、5%強の人は死亡すると見てそれほどのズレはないような気がする。

けっこう大きな数字なのだが、それが起こる確率はそう高くなく、ましてやアナウンスで言い分ける程ではない。先ほどの防災ツイッターを見れば、保護の知らせはすべて「発見されました」である。ツイッターで文字化されたものと実際の放送が一緒である保証はないが、仮に表現が違う場合であっても、アナウンスする人のその時の気分以上の理由はなさそうである。

では何故こんな噂話が生まれるのだろう。これは実際に認知症老人介護を担っている人々(その殆どが主婦たち)、およびやがて来るかもしれない介護の日々を予感している人たちが、その苦痛からの解放希求を控えめに表現したファンタジーなのではないか、と言うのが私の独断的考察。

介護者を悩ます徘徊が、同時に根本的問題の消滅に繋がるかもしれないという、人には言えない期待が、防災無線アナウンスの微妙なニュアンスの違いとして表現されているかのように聞き取れてしまうのではないか。いささか不謹慎な意見ではあるものの、家族に介護を押し付けることをメインとするこの国の認知症対策ポリシーのもとでは、そう感じるのも致し方なかろうと思う。

1 件のコメント:

  1. 確かに日々の患者さんを診ていて、あまりに疲弊している様子でだれか要介護者を抱えているか尋ねるとほぼ確実にそのようですね。80歳の方が103歳の実母を介護なんて例も最近経験しました。家族と介護の現場を担うものへのしわ寄せは次回の改定でさらに強化されるんでしょうね。

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