2013年12月17日火曜日

ある街角クリスマス・イルミネーションの興亡

私は毎日の通勤の行き帰りに、あるミニ開発の住宅地内を通ることにしている。少し近道になるのと、渋滞を避ける目的からである。狭い生活道路に入ってこられる側はいい迷惑であろうが、そこは充分な低速順守で安全運転を心がけているつもりである。

その街角では、今まで暮れの季節になると家々が競ってクリスマス・イルミネーションを並べ立てるのが習わしだった。少なくともそこの町内道路を通勤路に利用し始めた5年前から、それは既に始まっていたが、私が気づいた当初は素朴というか、生け垣の一部をクリスマスツリーに見立てたような小規模なものだった。

ところが年とともに電飾は手が込んだものとなり、特にその街角の入り口に当たる1軒の家などは、点滅を多用した動きのあるものを飾るようになっていった。昨年の飾りなどまるで仕掛け花火のナイアガラの滝のような一面の光の流れの中を、サンタクロースのソリが屋根まで上り詰めていくという、ド派手なものであった。

いくら夕方から数時間とはいえ、あれだけチカチカさせるためには結構な電気代がかかるのではないか、何より近所の家から苦情は来ないのだろうかと、人事ながら心配したものである。電飾のそうした進化というか変遷は、美術史における素朴写実からルネサンスを経て、マニエリズム、バロックへという変化を思い起こさせたものだった。

今年は一体どんなイルミネーションが飾られるのだろうか、新古典主義か、ロマン主義かなどと多少期待していたのだが、なんと今年は件の家には何の電飾もなく、二〜三軒ほどの家が控えめなイルミネーションを飾っているばかりなのである。人々は軍拡にも似たイルミネーション拡大競争に疲れ、身の丈の電飾に満足しているかのようであった。

それにしても、トップを切って派手派手イルミネーションを展開していたあの家には何があったのだろう。対外的軍事誇示方針に異を唱える勢力によるクーデターか、それ以前の経済破綻か。まさかクリスマス当日を狙って、一家玉砕も辞さぬ新型電飾兵器を開陳するのではあるまいな。そんな想像に浸ってしまい、思わず安全運転も疎かになる師走の夕暮れの街角なのだった。

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