2014年1月31日金曜日

オランダ式戦車ブレーキ性能テスト

あちこちにアップされている「オランダ式戦車ブレーキテスト」と言う映像。どんな連中が何時どこで企画構成し収録したものなのかは、さっぱり判らん。

こちらのBBC関連サイトの記事を見るとかなりの準備をしたことは書いてあるものの、5W+Hについては全く触れていない。YahooやAOLでもこの映像に関するニュースを報じているが、事実関係の記載はない。

いくら充分な準備したとはいえ、さすがに戦車が背後に迫った時には3〜4人がビビって後ろを振り向いているのを見ると、さもありなんと思える。映像処理でもなさそうだし、オランダ式肝試しということなのだと素直に受け取っておこう。

2014年1月26日日曜日

Man On The Moon

ジム・キャリーが35歳の若さで死んだ伝説のコメディアン、アンディ・カウフマンに扮した映画、"Man On The Moon."をiTuneのレンタルで視聴。アンディ・カウフマンって誰だよ、と殆どの人は思うだろうし、実は私も数日前までは知らなかった。たまたまYouTubeで映画の断片を見て興味を持ち、全編を見る気になった。

どうも、やしきたかじん氏の死以来、歳の近い人の死に変に敏感になっているようで、カウフマンもずっと前に死んだ人ながら、生まれたのは私の一年前なのが興味を持った理由の全てである。才能に溢れながら35ぐらいで死ななければならない運命を、彼はどうやって受け入れたのか、そんな関心だけで視聴したわけ。

独自のスタイルをもった売れないスタンドアップコメディアンとしてクラブ回りしていたアンディは、ある日辣腕マネジャーに見出される。その場限りのジョークを垂れ流すのではなく、人の感情そのものを操作する新しい笑いを求めるアンディは、次々に問題を起こしつつ人気を得るものの、その過激さのため、ついにはTV界から拒否される事態に至る。そんな頃、彼は自分が不治の肺がんに侵されていることを知るが、周囲の人は悪趣味なジョークだとしか捉えてくれない。病魔が進行する中、彼は長年の夢だったカーネギーホールでショーを開き、死の床につく。

そのカーネギーホールでのショーといい、葬儀の時に流される全肯定的な遺言映像といい、それまでの悪意すら込められた笑いへの追求が急に薄れてしまい。えらく凡庸な内容になってしまうのが少々不満を感じるところ。死の受容はとんがった人をもありきたりに変えてしまうんでしょうかね。

そんな訳で、なんとなく不完全燃焼気味でありつつも、それなりに面白い映画でありました。ジム・キャリーの演技は素晴らしく、その恋人役にかのコートニー・ラブが出ていたのもお得感抜群。何より、「重力の虹」を読んだ直後なので、明確なストーリーの存在というものの有り難さをしみじみと感じた次第。

2014年1月25日土曜日

重力の虹

昨年の7月にトマス・ピンチョンの「LAヴァイス」と言うハードボイルド探偵小説仕立ての奇天烈作品の感想文をアップしたが、それを読むそもそものきっかけとなったのが彼の長編代表作である「重力の虹」という、知る人ぞ知る超奇天烈小説である。実は「LAヴァイス」と同時に買っていたのだが、なかなか読む気にならず、半年間放ったまま背表紙を眺めていた。

正月過ぎにやっと手に取る気になり、実に半月以上かけてやっと読み終えたのだが、正直言って「なんじゃこりゃ」である。とにかく歴史的薀蓄から微分方程式、怪しげな有機化学の断片に、パブロフ派精神医学の新解釈などのごちゃごちゃが、決まったギャグと滑ったジョーク、そしてそれらがノーマル系から変態領域のポルノ記述とともにテンコ盛りされている。

一応ストーリーらしきものはあり、主人公もいる。二次大戦末期、ロンドンにV2ロケット爆撃調査のために派遣されたアメリカ軍将校、タイローン・スロースロップ中尉がその人。彼は職務よりはもっぱらナンパに熱心で、次々にロンドンのあちこちで情事を重ねるのだが、何故か数日以内にその情事現場にはV2ロケットが落ちてくるのである。中尉の勃起痕跡をロケットが追うのか、その勃起がロケット襲来予知なのか。彼の特殊能力を何故か知るある組織によって彼は監視されている。

やがて彼は監視の目を逃れ、休暇先のリビエラから逃亡し、スイスを経て敗戦直後のドイツへ潜入する。こう書くとかなりしっかりしたプロットがあるじゃないかと思われるかもしれないが、この小説では記述の視点がコロコロと変わり、しかもそれが段落ごとに明示されぬまま別の人間の話になっていたり、おまけに時間軸まで違っていたりするので、話の筋を追うのは容易ではない。500ページほどある二段組二巻のほとんどがその調子。

他にも副主人公といえる登場人物は数多く、中尉を監視する組織の中の対立とか、独自にロケットの秘密を追う「黒の軍団」(この連中について説明しょうとすれば更に2段落ほどいるので割愛)とか、ソ連軍や日本軍の情報将校とか、物語とは全く無関係に登場するカミカゼ特攻隊員のおふざけ漫才などが目白押しなのだが、小説を読み終わって判るのが、それらの人々は出てきただけだったということ。様々な謎のようなものがほのめかされるのだが、結局何も解決されることなく何だかわからぬまま消えていくのである。

ネタバレと言う言葉はこの小説にとっては無関係であろうから、あえて書いてしまうと、そのうちスロースロップ中尉もどこかに消えてしまい、最後は時間軸的にもいつだかわからぬロケットの上昇と下降、それもえらく唐突な目標地点に向かう話になるのだが、その理由は全くわからぬまま小説は終わる。もしかしたら丹念に読んでいけば理解できるのかもしれないが、少なくとも私の理解力を大きく超えた小説であったことだけは間違いない。

この後取るべき態度は①懲りたのでもうT・ピンチョンは読まない。②やけくそなので買ってしまった分は全部読み、ピンチョンの専門家のごとく振る舞う。③なかったコトにする。などが考えられるが、多分私は②を選んでしまうんだろうな。

2014年1月9日木曜日

やしきたかじん氏死去

歌手のやしきたかじん氏が数日前に死去されていたんだそうだ。と言っても私は彼についてほとんど何も知らず、そもそもその名前についても「やしき たかじん」さんなのか、「やしきた かじん」さんなのかも知らなかった。まあ、「やし きたかじん」さんや「やしきたか じん」さんでないのは常識的に把握していたけれど。

ちょっと前にある関西の芸人がマスコミにバッシングされていた時、彼がニュースショーのインタビューでギャグを交えた擁護発言をしているところを見たことはある。相手はもとボクシングをやっていたという芸人で、顔は覚えているが名前は忘れた。もともと関西出身なので彼の名前はコンサート予告なんかで見たことはあるのだが、何しろ見ただけでは「やしき たかじん」さんなのか、「やしきた かじん」さんなのかも判らないのだ。苗字と名前の間に、意識的にスペースを開けていなかったようである。

歌手ということなのだが、一度も歌を聞いたことがない。一度は聞いておこうと今日はじめてYouTubeで聞いてみた。そうしたら私が覚えているインタビューでのダミ声とは裏腹のフェミニンな高音で、柔らかい関西弁をうまく使って女心をせつなく歌い上げる持ち歌ばかりなのでいささか驚愕した。ただ、関西弁、標準語を問わず、むさいオッサンが女性の立場に立って唄を歌うというのはどうなのよ、という気持ちがついて回るのは事実である。

東京に対して反発心を抱き、人気が出ても東京キーTV局の番組には出なかったそうだ。私みたいにそういうこだわりが全くなく、昔からの友人たちとは汚い土着系関西弁を喋りつつ、仕事上では標準語を平気で使う人間には全く理解できない態度である。まあ、そのほうが商売になると判断したということなんでしょうな。

何であれ、ひとつぐらいしか年の変わらない人が亡くなられたというニュースは、私のような黄昏世代にはいささか重い知らせである。そのうち自分にもこの巡りが回ってくるのだなぁと思うのだが、まだ何の覚悟もできていない自分にいささか苛立ってしまう。せめて、との思いでコンピュータの壁紙をブリューゲルの「死の勝利」に替えて覚悟への一歩を図る冬の一日なのだった。

2014年1月7日火曜日

アル中の診断基準:禁酒

大晦日、元旦と帰省してきた娘たちと鯨飲大食してしまい、今だに体調が芳しくないので、現在禁酒生活中である。しらふでいると夜が長く、することもないので早寝してしまい、朝の4時前には目覚めるという完全な老人生活リズムになってしまうのが面白く無い。起きてもすることがないのは同様で、仕方なく今まで読みそびれていた長編小説なんかを読んで見るのだが、まだエンジンが掛かりきっていない脳細胞の表面を、活字は上滑りしていくばかりなのである。

そんな時でも、というかそんな時だからなのか、昔の記憶が妙によみがえる。禁酒というと、研修医の頃、アルコール依存症を専門としていた先輩から言われたのが「アル中の診断基準で最も確実なのは、禁酒歴があること」というもの。アルコールに耽溺してしまうと自分で適当なところで切り上げられないので、限界を超えて飲んだ挙句、しばらく酒をやめざるを得なくなるというのだ。

「酒をだらだら飲み続けるのがアル中ではなく、止めるしかないところに追い込まれるのがアル中なのだ」というまことに説得力ある話。残念ながら治療につながる話ではないし、追い込まれた禁酒にしても短期間で「まあ、ちょっと止めてたからいいかぁ」と、更なる飲酒フェイズに移行するのである。この論理で行くと暮れ正月とはいえ、体調を崩すまで飲んで禁酒している私はアル中段階に達していることになる。気になったのでDSM-Vで確認してみたが、アルコール使用障害の基準の中には「禁酒する」というのはなく、中止、制限への失敗が挙げられているのみ。

更にアル中関連の別の記憶。結構中堅になった頃に参加したアルコール関連のシンポジウムで聞いたアル中新理論。超有名大学の内科学助教授だった方が言うには、二日酔いの時には体内にアセトアルデヒドが残っているが、この物質には還元作用がある。二日酔いで冷や汗たらたらと言う状況ではアドレナリンなどのカテコールアミンが多量に分泌されており、これがアセトアルデヒドの還元作用で重合し、モルヒネ様物質が微量ながら体内でつくられ、この自家製モルヒネによる脳神経変性がアル中の原因なのだというもの。

アドレナリンとモルヒネではかなり構造が違うような気がしたが、経験的に二日酔いが覚める時の苦痛と一種の陶酔が入り混じった感覚を思えば、確かにそのような事があってもいい気はした。単なる大酒飲みとアル中と俗に言われる状態は明らかに違うものだ。アルコール自体の障害作用と栄養障害を超える、何らかの本質的な脳の変化機序がそこにあると考えるのも当然であろう。

ところが、このアル中大理論をその後全く聞かないのである。結構ちゃんとしたシンポジウムだったし、珍しく私も質問なんかしたので、寝ぼけて聞いた断片から勝手に創りだしたマボロシ理論ということもありえない。研究環境があれば自分で再検してみたいと思うほどだ、と言うのはさすがに嘘だが、せめて仮説として発表された論文でもあればと色々検索してみたんだが、今だに見つからないのが残念。