2014年1月9日木曜日

やしきたかじん氏死去

歌手のやしきたかじん氏が数日前に死去されていたんだそうだ。と言っても私は彼についてほとんど何も知らず、そもそもその名前についても「やしき たかじん」さんなのか、「やしきた かじん」さんなのかも知らなかった。まあ、「やし きたかじん」さんや「やしきたか じん」さんでないのは常識的に把握していたけれど。

ちょっと前にある関西の芸人がマスコミにバッシングされていた時、彼がニュースショーのインタビューでギャグを交えた擁護発言をしているところを見たことはある。相手はもとボクシングをやっていたという芸人で、顔は覚えているが名前は忘れた。もともと関西出身なので彼の名前はコンサート予告なんかで見たことはあるのだが、何しろ見ただけでは「やしき たかじん」さんなのか、「やしきた かじん」さんなのかも判らないのだ。苗字と名前の間に、意識的にスペースを開けていなかったようである。

歌手ということなのだが、一度も歌を聞いたことがない。一度は聞いておこうと今日はじめてYouTubeで聞いてみた。そうしたら私が覚えているインタビューでのダミ声とは裏腹のフェミニンな高音で、柔らかい関西弁をうまく使って女心をせつなく歌い上げる持ち歌ばかりなのでいささか驚愕した。ただ、関西弁、標準語を問わず、むさいオッサンが女性の立場に立って唄を歌うというのはどうなのよ、という気持ちがついて回るのは事実である。

東京に対して反発心を抱き、人気が出ても東京キーTV局の番組には出なかったそうだ。私みたいにそういうこだわりが全くなく、昔からの友人たちとは汚い土着系関西弁を喋りつつ、仕事上では標準語を平気で使う人間には全く理解できない態度である。まあ、そのほうが商売になると判断したということなんでしょうな。

何であれ、ひとつぐらいしか年の変わらない人が亡くなられたというニュースは、私のような黄昏世代にはいささか重い知らせである。そのうち自分にもこの巡りが回ってくるのだなぁと思うのだが、まだ何の覚悟もできていない自分にいささか苛立ってしまう。せめて、との思いでコンピュータの壁紙をブリューゲルの「死の勝利」に替えて覚悟への一歩を図る冬の一日なのだった。

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