大晦日、元旦と帰省してきた娘たちと鯨飲大食してしまい、今だに体調が芳しくないので、現在禁酒生活中である。しらふでいると夜が長く、することもないので早寝してしまい、朝の4時前には目覚めるという完全な老人生活リズムになってしまうのが面白く無い。起きてもすることがないのは同様で、仕方なく今まで読みそびれていた長編小説なんかを読んで見るのだが、まだエンジンが掛かりきっていない脳細胞の表面を、活字は上滑りしていくばかりなのである。
そんな時でも、というかそんな時だからなのか、昔の記憶が妙によみがえる。禁酒というと、研修医の頃、アルコール依存症を専門としていた先輩から言われたのが「アル中の診断基準で最も確実なのは、禁酒歴があること」というもの。アルコールに耽溺してしまうと自分で適当なところで切り上げられないので、限界を超えて飲んだ挙句、しばらく酒をやめざるを得なくなるというのだ。
「酒をだらだら飲み続けるのがアル中ではなく、止めるしかないところに追い込まれるのがアル中なのだ」というまことに説得力ある話。残念ながら治療につながる話ではないし、追い込まれた禁酒にしても短期間で「まあ、ちょっと止めてたからいいかぁ」と、更なる飲酒フェイズに移行するのである。この論理で行くと暮れ正月とはいえ、体調を崩すまで飲んで禁酒している私はアル中段階に達していることになる。気になったのでDSM-Vで確認してみたが、アルコール使用障害の基準の中には「禁酒する」というのはなく、中止、制限への失敗が挙げられているのみ。
更にアル中関連の別の記憶。結構中堅になった頃に参加したアルコール関連のシンポジウムで聞いたアル中新理論。超有名大学の内科学助教授だった方が言うには、二日酔いの時には体内にアセトアルデヒドが残っているが、この物質には還元作用がある。二日酔いで冷や汗たらたらと言う状況ではアドレナリンなどのカテコールアミンが多量に分泌されており、これがアセトアルデヒドの還元作用で重合し、モルヒネ様物質が微量ながら体内でつくられ、この自家製モルヒネによる脳神経変性がアル中の原因なのだというもの。
アドレナリンとモルヒネではかなり構造が違うような気がしたが、経験的に二日酔いが覚める時の苦痛と一種の陶酔が入り混じった感覚を思えば、確かにそのような事があってもいい気はした。単なる大酒飲みとアル中と俗に言われる状態は明らかに違うものだ。アルコール自体の障害作用と栄養障害を超える、何らかの本質的な脳の変化機序がそこにあると考えるのも当然であろう。
ところが、このアル中大理論をその後全く聞かないのである。結構ちゃんとしたシンポジウムだったし、珍しく私も質問なんかしたので、寝ぼけて聞いた断片から勝手に創りだしたマボロシ理論ということもありえない。研究環境があれば自分で再検してみたいと思うほどだ、と言うのはさすがに嘘だが、せめて仮説として発表された論文でもあればと色々検索してみたんだが、今だに見つからないのが残念。
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