2013年11月30日土曜日

「グッドバイ」観劇

世田谷シアタートラムにて「グッドバイ」を観劇。言わずと知れた太宰治の絶筆をモチーフにしたものである。戯曲を書いた北村想は70年代の小劇場というか、アングラ芝居に出自がある人なんだけれど、どちらかと言うといわゆる新劇への親和度が高い人でもある、と私は理解していた。と言いつつ、そういう思い込みのせいもあって今まで全く観たことはない。

今回観ることになったのは、太宰治をとりあげたからに他ならない。太宰なんかに没頭するのは中学生から高校生のブンガク愛好家であろうが、私はせいぜい「人間失格」当たりを読んで、こんなに自分をネガティブに見るのはいかがなものかと感じた程度であった。

よく高校現代国語の設問に使われた、変に浮ついた自己教育肯定の文書、カルチベートがどうしたといった文を読むと今度はやたらに違和感を感じたものだった。長じて精神科医という因業な稼業をすることになり、彼が双極性感情障害と診断されていることを知ることとなったが、今もそれには完全に納得しているわけではない。単に自分が主役でないと許せない未熟性を克服出来なかった人なのではないですかなぁ。

そんな私でも彼の絶筆といわれるグッドバイは読んでいる。確か陰で闇屋もやっている編集者が、10人の愛人と別れるために、声は悪くて妙に力持ちながら絶世の美女であるキヌ子という担ぎ屋の女を妻だと偽って愛人たちを挨拶回りするような話だった。一人目の女性と別れたところで太宰は心中死してしまい、話は未完のままになるのだ。太宰にしてみれば、この未完の小説は世間という性悪女への愛想尽かしだったのかもしれない。

肝心の芝居の方であるが、さすがに「モチーフにした」と言うだけあって小説との一致点は美女を婚約者だと紹介する作戦で、愛人との縁切り行脚をすると言う点だけ。主人公は初老の大学教授になっており、この人が愛妻の死後、8人の愛人を作ったものの、自分の大学理事長である女性と再婚したため、他の女性と別れる約束をさせられてしまったと言う設定。

連れて歩く女性を募集したところ、ほとんどブスばかりで使い物にならない。一人だけお気に入りの女性がいたものの、それがひどい河内弁しか喋れないという設定は小説からの翻案。もっとも、その女性が応募してきたのには実はウラがあって…、という別れの行脚の謎解き話としてストーリーは進行する。少々納得出来ない点もありつつ、最後はえらく純情話に収束する雰囲気を示して大団円。原作の胡散臭さが全く受け継がれていないのが少々残念。最もその部分は原作にはない高橋克実が演じた詩人崩れの造形に集約されているのかもしれないが。

女性を演じた蒼井優という人は童顔過ぎて、いわゆる「美女」とは言いがたい。主人公の教授役の段田安則はやはり上手な新劇俳優である。彼の助手役だった柄本祐はあの柄本明の息子らしい。あまりにいい男なので少々驚愕。遺伝法則はどうなっておるんだ。柄本明にはもう一人息子がいてその人も俳優らしい。今度二人でベケットの「ゴドーを待ちながら」をやるらしい。観に行こうかな。


2013年11月28日木曜日

クロネコからのプレゼント2

以前にも書いたことがあるクロネコヤマトからのプレゼント、第二弾が送られてくる。

ヤマト便のメンバー登録をしておくと、利用するたびにポイントがたまり、プレゼントと交換してもらえるのである。それも、こちらから送る場合だけでなく、送られてきた品物を受け取るだけでもポイントが付くのである。

私は日用品の調達の90%以上をアマゾンに依拠しているので、週に3回はクロネコ便が届く。一人暮らしだと、配達時刻の指定が細かく出来るクロネコ便が一番便利なのだ。おまけにアマゾンは少し前からほとんどの配達がクロネコ便になり、ポイントはたまるばかりである。

今回のプレゼントはクール便のトラックのミニチュア。ちゃんとサイドドアはスライドし、後ろのドアも開く。それがどうしたと言われたら返す言葉もないが。今の調子でポイントがたまっていけば、今年度中にはクロネコ全車両が揃いそうである。それにしても、この小さなミニチュアを、なんでこんなに大きな段ボール箱で運んでくるのだろう。

2013年11月24日日曜日

戦争する脳

せっかくの連休なので、たまには活字でも読もうと、ずっと横積みにしてあった計見一雄氏の「戦争する脳」を手に取る。新書なので、ボケかけた頭でも何とか読み通せるのではという思惑である。

計見氏は私より干支一回りほど上で、大学も違えば職場も一緒になったことはないのだが、学生時代から私的な研究会で様々な教えを受けた大先輩にして大恩人である。ここ10年以上ご無沙汰しているが、時折出される著作には、この歳になっても蒙を啓かれることしきりである。

この国の精神科医としてはまれなことに精神分析の立場に立つ方で、私のような通俗精神科医とはいささか格調が違う。旧海軍軍人の父上の影響か、旧軍の良質な部分の教養と伝統を体現しておられる。我が家なんか、爺さんが輜重兵(運転手)で親父は工兵隊(線路工夫)だものね。

その計見氏がこのところ流行りの「脳」本を出したのかと思ったが、中身はそのようなものではなかった。精神分析学者らしく、否認機制の解説に始まり、イラク戦争が長期化した理由を、戦争主導者たちに働いた否認機制から説明する試みがなされている。脳の機能についての解説はほとんど付け足しだけ。ただ脳機能の成り立ちからして「好悪や愛憎抜きの純粋な合理的判断は、脳には出来ない」と前半3分の1当たりで結論されてはいる。

それ以降は脳機能の話は出てこず、氏の戦史薀蓄やライフワークである精神科救急と戦陣精神医学の話が続く。この辺は私も昔調べた事があるが、計見氏の概説のほうがはるかに詳しい。米軍の精神科救急ユニットは朝鮮戦争の頃確立したと私は理解していたんだが、実際は湾岸戦争まで満足に機能していなかったんですな。我が国の職場の精神衛生活動がたいして機能しないのも当然かも。

精神科医の立場で読めば示唆に富む内容なのだが、一般的な「脳本」を期待するといささか裏切られるかも知れない。しかし戦争と精神医学という意外な組み合わせと、けっこうな関連性の存在を知ることは損にはならないと思える。

2013年11月23日土曜日

猪瀬都知事への提言

報道によれば、猪瀬都知事は昨年の立候補直前に徳州会理事長である徳田虎雄氏と面会し立候補挨拶をした上で、5000万円の資金提供を受けたということである。

最も「徳洲会関係者」の言うことと知事側の言うことは微妙に食い違っていて、猪瀬氏側から一億円の資金提供を要求されたと徳洲会側はいい、猪瀬氏側は挨拶に行っただけだが、資金提供を申し出られ、断るのも何だと思って一応借入金扱いにしていたとのこと。

猪瀬氏がなんで立候補前に徳田氏に挨拶に行かねばならんのかがまず判らず、徳洲会が猪瀬氏に資金提供する理由はそれ以上に判らない。当選は間違いないから、ここで紐付きにしておくと後々有利と思ったんですかねぇ。猪瀬氏もそれを期待していたんだろうか。

猪瀬氏と知り合ったのはもう40年以上前、田舎の大学ながら紛争まっただ中の頃である。私は新入生、彼は学部は違うものの学内闘争組織の委員長だった。彼の凛としたアジテーションはアホな若造の魂を揺さぶるもので、世界をこの人なら変えてくれると思えたほどであった。

当時の主張とはかなり変わるものではあれ、猪瀬氏の活躍はその後も続いた。作家として、政府の諮問機関の一員として、与党にも野党にもない新鮮な発想を政治の世界に吹き込んでくれたと思う。

私は政治家というものは、絶対的クリーンでなければならないとは思わない。「一着しかない人民服をきて1日2合の麦だけを食べる清貧の指導者」なんぞクソ食らえである。今回の問題にしても大した金額でもなし、徳洲会の八つ当たり要素が強いと思われるのだが、選挙前のヤバい時期に資金無心にノコノコ行ってしまったイメージのダメージは大きい。

ここは潔く辞任されるのが一番吉と思える。オリンピック招致の実績だけで充分な実績ではないか。そうしてSP抜きで昔話に花咲せて大酒一緒に飲みましょう。勿論、直後の再出馬もありですけど。


2013年11月14日木曜日

KAAT×唐ゼミ☆合同公演『唐版 滝の白糸』

平日休みの夕べ、明日は朝早くから仕事だというのに、KAAT×唐ゼミ☆合同公演『唐版 滝の白糸』観劇のため横浜まで出かける。KAATと言うのは神奈川芸術劇場のことで、中華街のそばにいつの間にか、立派な劇場が出来ているのである。Kanagawa Arts Theatreの頭文字にしてはAが一つ多いような気がするが、KATでは様にならんとか、なんかの事情なんだろう。

先月の10日に蜷川幸男演出の「唐版 滝の白糸」を見たばかりなのだが、あのよくわからなかった芝居が別の演出ならどうなるのか、というのに興味があった。横浜なので近いし、何より演じるのが「唐ゼミ」というマイナー劇団なのでチケットが安いというのも魅力。

唐十郎は数年前まで横浜国大の教授をしていたんだそうで、彼のゼミを母体として横浜を中心に活動しているのが劇団唐ゼミというわけ。マイナーながら、唐直系の由緒ある劇団といえる。今までの公演では唐十郎の戯曲だけを演じているようだ。まあ、当たり前か。

さて芝居そのものだが、ごく簡単に言うと「蜷川演出よりはよっぽど判りやすい」ということに尽きる。愚直に唐のセリフ回しを追い、唐の世界観を再現することに徹している。状況劇場時代の唐の盟友、大久保鷹が銀メガネを演じており、そもそも唐自身が大久保鷹をモデルにして銀メガネを造形したそうで、なるほど、この胡散臭さが狙いだったんだなと納得させられる。蜷川劇での同役、平幹二朗は名優だとは思うが、やはり胡散臭さに欠けるのである。

蜷川演出にはたっぷり用意されていた外連味に富む劇的スペクタクルは小ぶりであったが、怪しげな貧乏人同士の金をめぐるやりとりに発して、小人のプロレスに象徴される「異形の無秩序」対「秩序=体制」という対立を、血の水芸による戦いで突き崩すという唐の布置構造がそのまま素直に伝わってくる芝居であった。何故今これを演じるのか、という意図は正直言って分からない。唐十郎というある種の天才の、動態保存記念館を作る衝動みたいなものであろうか。

2013年11月10日日曜日

野田地図「MIWA」観劇


昨夕は東京芸術劇場まで出かけて野田秀樹の「MIWA」を友人達と観劇。首都東京とはいえ、池袋までくると私のような田舎モンでも、そうアウェイ感にはとらわれない気楽さがある。それでも劇場前の広場では何やらわからんイベントがいくつか繰り広げられており、アートの雰囲気は満々である。

肝心のMIWAであるがこれは美輪明宏のことで、基本的には彼(彼女?)の半生記が芝居の骨格となっている。野田の芝居は唐十郎などと比べると、より言語の意味にこだわる部分が強く、重層的な構造がこれでもかこれでもかと繰り返される作りになっていて、それを見事な構成と感じるか、ウザいと感じるかは多少微妙なところがある。

少なくとも昨夜のMIWAに関してはかなりの出来と思われた。天国で自分の性を選んで生まれ落ちようとする時、神に逆らったアンドロギュノスと一緒に地上におりてしまい、ひとつの身体を分け合うことになった、というのが発端部分。主人公のMIWAは宮沢りえと中村有志が扮したネガティヴオーラ夫人みたいな衣装の古田新太が二人で演じるという作り。他にも劇そのものが劇中劇になっているとか、凝った意匠には事欠かない。

一番関心したのは宮沢りえの存在感で、ほぼ2時間以上出ずっぱり、かつ長セリフの連続を難なくこなし、あちらこちらへと転導されるイメージを取りまとめる役割をきっちりと引き受けている。今までみた彼女の出演作の中では出色の出来と思えた。単に可愛いだけの役者では無さそうである。今までちょっと過小評価していたなと少し反省。

そんなわけで、なかなかの満足を覚えて湘南新宿ラインにて帰宅。今月はあと二つ観劇計画があるんだが、それも当たりであって欲しいなと念じつつ就寝する。

2013年11月8日金曜日

ハエはどうやって天井にとまるのか

またもThe straight Dopeネタ。

飛んでいるハエが天井にとまる時、どのように上下を入れ替えているのかという質問。

確かに謎である。普通に天井近くまで飛び、そこでブルーインパルス風に横向き半回転するのか、もっと別の方法をとるのか。

勿論セシルアダムズはこの疑問に簡潔に答えているのだが、自分でも根拠になる映像か画像を見つけようとしばらくネットを散策。

YouTubeに"How is a fly landing on the ceiling?"という映像がアップされているが、どこが天井なのかさっぱりわからず、止まっているのかどうかも定かで無く、全く参考にならない。

結局上の画像を発見。天井近くまで飛んだハエは前足を振り上げて天井につかまって懸垂状態になり、それから身体を振り上げて天井に止まるのであった。天井に止まれるのは足についている粘液成分のおかげ。

日本の質問サイトではハエが天井に止まれる理由を聞くものばかりなのに、英語圏ではどのように逆ひねり着地をするのか、という動作を問うものがメインだったのがちょっと面白い。