2015年8月30日日曜日

ビバ、ホワイトベルグ

私は10年前ぐらいから心房細動の発作が出るようになり、やがて慢性化していつも脈が三三七拍子を打つようになってしまった。脈が不整だと血流が不安定になり、血栓が出来やすくなる。私の父親も心房細動があり、結局脳梗塞を起こして死んでしまった。今の私の年齢より3歳上だった。

それを見ていたものだから、あまり安らかに当時の治療常識、頻脈にならないようにし、同時に血栓予防を図る、と言う方針を不安なく受け入れられなかった。大体、ワーファリンという血栓予防薬を飲んでいると納豆とか多量の緑黄色野菜が食べられないのである。関西人ながら納豆好きの私には耐えられない。

そんな訳で6年前にカテーテルアブレーションという根治術をうけ、劇的に不整脈は完治したのだが、何故か不思議なことに、その治療を受けてからビールを美味いと思えなくなった。汗ダラダラの夏の日の終わりに、でかいジョッキでキンキンに冷えたビールを一気にゴクゴク、ぷふあーうま~い、と言うのが感じられなくなり、むしろ苦痛になってしまった。

アブレーション治療というのは不整脈の異常な電気刺激を出している部分を心臓から電気的に隔離するわけで、左房肺静脈流入路をぐるりと高周波焼却するのが標準的手技である。言うなら心臓の一部を低温やけどさせるわけで、当然近くの臓器も影響を受ける可能性がある。特に食道はすぐ近くにあるので、ここも軽いやけどを負う可能性は高いのである。

私が治療を受けた病院ではアブレーション治療後に食道や胃の内視鏡検査をするのがルーティンになっていたが、微妙な神経損傷ぐらいでは、まず見過ごされるだろう(もっとも発見されたって別に治療手段はないけど)。多分、食道の知覚神経に軽い損傷をきたし、一気に食道を流れ落ちるビールが違和感のみを与えるようになったのだろうと言うのが私の仮説。

「カテーテルアブレーション後にビール飲用困難となった一例」と言う論文でも書こうかと思ったが、主治医からは酒を飲むなと言われていたのを思い出してやめた。もっとも一年間はちゃんと断酒してたんですよ。だからビールが旨くなくなっているのを発見したのも一年後。

ここからやっと本題にはいるのだが、グビグビゴクゴク系のビールは確かにうまくなくなったが、ちびちび飲むタイプの酒は昔と同じようにうまいと感じる。ビールでも、ベルギーのシメイとか、ヒューガルテンなどの手の込んだ発酵をさせたものなんかは、むしろよりうまく感じるほどである。特に後者に代表される小麦麦芽の白ビールは最高。いわゆる地ビールとして日本でもぼちぼち作られてはいるものの、妙に値段が高くていけない。

今日たまたま近くの安売り酒屋に寄ってみたら、何とベルギー白ビールをイメージした日本製発泡酒を売っていたのである。値段はたったの100円ちょっと。早速半ダースほど買い込み試飲してみる。見た目はあんまり白ビールっぽくないが、お約束のコリアンダーとオレンジピールのかすかな香りも付けられており、値段を考えると実にお買い得。

私みたいな特殊な事情を抱えている人間ばかりではなく、最近の若い人たちの間ではビール離れが進みつつあると聞く。白ビールなどの非ラガービールはひとつの方向性になるような気がしますがなぁ。ワイン感覚で飲めるのだから。ホワイトベルグなる安発泡酒が、そうした試みのアンテナ商品であることを期待したいものだ。何故か熱くなって長文になってしまった。

2015年8月17日月曜日

マンションを買ってしまった

何をトチくるったか、突然「マンションを買おう」と思いつき、たまたま訪ねた仲介業者のお兄ちゃんが気のいい人であったこともあり、いくつか回った物件のうち、まあまあと思えるものの契約を済ませてしまった。思いついてからひと月たっていない。こりゃもしかしたら躁状態に入り込みつつあるのかなぁ。

この歳ではローンを組むわけにも行かず、なけなしの老後資金を大方使い果たす。今までのまま賃貸に住み、自分の寿命と蓄えのどちらが先に尽きるかを競い合う、スリリングな老後を送るのも悪く無いと思うのだが、何となくそれでは落ち着きがなくなり、モノに頼る守りの姿勢になってしまったということなのかもしれない。

新居(といっても中古だが)の決定理由を列挙すると、
①猫が飼える。②駅に近い。③飲み屋街に近い。④食い物屋街に近い。⑤スーパーが近い。⑥言われてみればはるかに海が見える(どうも江ノ島の花火も見えるらしい)。⑦言われてみれば富士山もかなたに見える。
というわけで、人生を締めくくるにはまずまずの環境に思えたから。

こんな思いつきのお陰で後最低4〜5年は働くしか無くなってしまったが、なにせ怠け者なので、そうでもしないと引きこもり老人になってしまう危機感もこれを決めた理由のひとつである。しかし、契約を済ませた後に不動産サイトを見ると、もっと良さげな物件ばかりが目につくのは何故であろうか。

なお、左上の間取り図はイメージであって、実際に契約した物件とは何の関係もありません。

2015年8月11日火曜日

労働が美となる日を求めて

webニュースを見ていたら、ベトナムの鉄橋工事で100年前のスーパー技術が使われているという記事があり。その映像も紹介されていた。それを見て少々呆れる。全くスーパーテクニックでも、サーカス・パフォーマンスでもない。リベットの投げ手は腰がふらついているし、受け手はあちこち移動して何とか落とさずに受けているだけ。そもそも、両者はそう離れていない平面上にいるではないか。

私が子供の頃(考えてみれば60年近く前のことだ)、家の近くで鉄橋の新設工事をやっていて、このリベット投げを心行くまで観察できた。リベットの投げ手は道路の高さにいて、受け手は10数m以上高い鉄橋のテッペンにいるのである。当然受け手はほとんど動けず、体の正面に来るリベットを受けるしかない。外れたリベットを追っていけば転落するだけ。

ところが長い間見ていても、リベットが外れることは全くないのだ。投げ手はひたすら受け手の正面にリベットを投げ続け、受けた男は素早く必要な部署に分配する。夜になっても続く作業では赤く焼けたリベットが作る光の弧があまりに美しく、携わる男たちの仕事への誇りと気高さを象徴しているかに見えたものだった。

そんな訳で、いまもその技術を受け継いているといわれるベトナム人労働者諸君。あなた達の技術はまだまだ話しにならない。あなた達の労働が同時に美として捉えられるレベルに達しない限り、桎梏としての労働から解放される日はまだ遠いと思いましょう。差し当たってはあの投げ手の腰の座りを決めるところから誰か指導してやらにゃイカンな。

2015年8月6日木曜日

Windows 10


Windows 10にタダでアップグレード出来ると言うので、タダに勝るものなしと更新を予約して待つこと一週間あまり、ようやく更新していいよと言うお許しが頂けた。しかも既に必要なファイルの類はダウンロードが済んでいるという手回しの良さである。

ちょっと前にWindows 8に「格安で」アップグレード出来るというキャンペーンがあり、当然お調子者の私はそれをに乗っかったのだが、マヌケなことに32ビット版を入れてしまった。私はPC作業はすべてMac Bookですましており、デスクトップのWindowsマシンはいい歳をしてゲームをするだけなのである。32ビットOSでは最近の重厚長大なゲームなど走らず、結局以前のWindows 7の64ビット版をインストールしなおして使っていたのである。

その過程で「格安に」アップグレードした8は消えてしまい、再アップグレードには普通の料金がかかることが判明することになる。ちゃんとバックアップしとけば良かったんだが、そういう着実なことは絶対行えない体質なもので。当然今回もバックアップなどなし。消えてしまえば焼け跡闇市からやり直しである。こうして私はエントロピー増加の危機を逃れているわけ。ワイルドだぜぇー。

もっとも今回のアップグレードは実にスムーズに進み、2時間足らずで終了。本質的に何が変わっているのかはよく判らないが、少なくとも見た目は確実にお洒落になっていることは実感できる。Edgeというブラウザもなかなか格好良く、画面に書き込みができるという機能も素晴らしい。と言いつつ何を書いたらいいのか判らないので「へのへのもへ」を余白に書いただけ。「ピン止めしますか?」と言うような選択肢が出てきたがあれは何だったんだろう。

早速Grand Theft Auto Vを起動。ちょっとカクカク引っかかり動作が増えたような気がするがまあ普通に動く。ゲーム進行のほうは最低で、主人公の一人は中国マフィアにあっさり拉致されてしまうし、救出に駆けつけた仲間は何度やっても敵のアジトを発見できず、あえなく主人公は殺されてしまうしで、クリア出来ずに頓挫で放置。

別にWindows 10のせいではないのだが、このゲームのためにあるPCのようなものなのに、何か良いことがありそうな期待で過ごしていたこの一週間は何だったのかと、いささか虚しさを覚えるのだった。

2015年8月3日月曜日

タワシと歩く品川の夜

一昨夜品川で衝撃の光景を目撃したのを忘れていたので本日報告。一昨夜帰宅しようと品川の駅前に降り立つと、前を歩く50がらみのサラリーマン風男性が何かを引きずっているのに気づいた。

ペットを連れて散歩しているのかと思ったが、どう見ても会社からの帰りという雰囲気で、わざわざペットを連れ出して来たとは思えない。その上、そもそもリードに繋がれたペットと思われたものは、間違いなく亀の子タワシそのものなのだった。

それもひとつは純正亀の子タワシで、もうひとつはタワシで作られた亀のフィギュア。それをペット用リードにつなぎ、二匹(?)仲良く引きずっているのである。人々がチラリとタワシに視線を注ぎ、なかったことのようにしながら飼い主(?)たるサラリーマン風男性の顔をうかがって通り過ぎて行くのだが、当の男性はいささかもたじろがない。

これは何なのだろうかといくつか可能性を考えてみた。

①これは亀の子タワシ製作販売企業によるバイラルCMキャンペーンで、スポンジタワシ製品に対するシェア回復を狙った社運事業である。
②引きずっている人は飼っていたリアル亀を病気で失い、未だ受け入れられぬその死に対する喪の作業をこうしたパーフォマンスで遂行しようとしている。
③あれは一見タワシとタワシ製フィギュアに見えるが、実はペットとしても最適な新種生物である。
④実はあのタワシのほうがが男性を操っている知的存在で、この世界を征服せんとする野望の示威行動なのだ。

段々バカバカしくなってきたのでここらで止めるが、品川とはいえさすが首都トーキョー。私みたいな田舎者には想像もつかないことが起こっているんですなぁ。

2015年8月2日日曜日

オイスターバー

日本海側に住む上の娘が、品川のホテルでミニ学会があるので出てくるが、夜は暇なので晩ご飯を食べようと連絡してきた。下の娘も合流し、駅ビルにあるオイスターバーで食事会。要は私の懐を当てにしている訳。

土曜日ということもあるのか、街は人々で賑い、駅ビルのレストランはどこも行列ばかり。ただここのオイスターバーは駅ビルという立地にしては値段が高めのせいか、まず並ばないと入れないということはないのである。

味の方もまずまず。そりゃ生の牡蠣をむいて皿に並べるだけなんだから、元の牡蠣が美味ければ、誰がどうしようが美味いに決まってる。飲み物は清水の舞台から飛び降りる覚悟でシャンパン。牡蠣が届くまでに半分以上なくなってしまうのも大体いつもの我が家のパターンである。

結局もう一度清水の舞台から飛び降りることになり、牡蠣の方も12ピースでは足らず8ピースを追加。パスタやグリルした牡蠣も頼むが、こちらの方は大ブーイング。「味にパンチがない。ニンニクが足らん。塩がたらん。そもそも地中海系の料理はいい意味での下品さが命なのに」。ラテン系の料理にうるさい下の娘はテーブルにあった塩入れを抱え込んで塩味追加に余念がない。

その後は本格的飲酒モードになって昔食べたレストランや料理屋の食い物飲み物の思い出ばなしに花が咲き、久々の父娘再会合の夜は更けていったのであった。どっと軽くなった財布を胸に帰宅の途につきながら、それにしても食い意地と飲み意地だけが父娘の絆というのは如何なものなのかと、いささか考え込んだものだった。