2015年8月11日火曜日

労働が美となる日を求めて

webニュースを見ていたら、ベトナムの鉄橋工事で100年前のスーパー技術が使われているという記事があり。その映像も紹介されていた。それを見て少々呆れる。全くスーパーテクニックでも、サーカス・パフォーマンスでもない。リベットの投げ手は腰がふらついているし、受け手はあちこち移動して何とか落とさずに受けているだけ。そもそも、両者はそう離れていない平面上にいるではないか。

私が子供の頃(考えてみれば60年近く前のことだ)、家の近くで鉄橋の新設工事をやっていて、このリベット投げを心行くまで観察できた。リベットの投げ手は道路の高さにいて、受け手は10数m以上高い鉄橋のテッペンにいるのである。当然受け手はほとんど動けず、体の正面に来るリベットを受けるしかない。外れたリベットを追っていけば転落するだけ。

ところが長い間見ていても、リベットが外れることは全くないのだ。投げ手はひたすら受け手の正面にリベットを投げ続け、受けた男は素早く必要な部署に分配する。夜になっても続く作業では赤く焼けたリベットが作る光の弧があまりに美しく、携わる男たちの仕事への誇りと気高さを象徴しているかに見えたものだった。

そんな訳で、いまもその技術を受け継いているといわれるベトナム人労働者諸君。あなた達の技術はまだまだ話しにならない。あなた達の労働が同時に美として捉えられるレベルに達しない限り、桎梏としての労働から解放される日はまだ遠いと思いましょう。差し当たってはあの投げ手の腰の座りを決めるところから誰か指導してやらにゃイカンな。

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