2016年3月19日土曜日

Nikon coolpix P900 その2

再びNikon coolpix P900の話。このカメラにはプレ設定に「月モード」というのが準備されているぐらいで、天体撮影も売りのひとつなのである。折しも久々の好天で、夕刻には天頂近くに13夜の月が出ているではないか。早速動画撮影。

上の部屋のベランダが邪魔してそのままでは月が見えず、三脚を傾けて二脚状態にしてカメラをベランダから飛び出させているので、今ひとつ画像がふらつく。妙な叫び声は下の公園で遊ぶ近所のガキども。

それでも光学ズーム最大2000mmのレベルで、ちゃんと月のクレーターが観察できる。素人の思いつき天体観測には十分な内容である。次は木星の縞模様とか、土星の環をぜひ撮影してみようと思う。たぶんネットで惑星の現在位置情報ぐらい検索できるだろう。ほとんど気分はガリレオである。

しかし夜中に望遠カメラを担いで怪しげな動きをしていると、天体マニアならぬ変態マニアと間違われるのではないかというのが懸念ではある。

2016年3月17日木曜日

Nikon coolpix P900

YouTubeにNikon coolpix P900なるデジタル一眼の宣伝ビデオがたくさんアップされていて、その中のひとつを見てから、その圧倒的なズーム能力に心騒ぐ物を感じてしまい、とうとう先日購入してしまった。

予想よりは安かったとは言え、結構な物入りである。老後の資金をこんな飯の種にもならん物に浪費している場合ではないのだが、物欲を刺激される商品に出会うことはそうあるものではない。これが日産GT-Rなら笑って見過ごせるが、払おうと思えば払える価格だというのがいけません。

早速セットアップしてベランダに出てみる。我が家からわずかに見える江ノ島の展望タワーを狙ってズームイン。手持ちだといくら「手ぶれ補正」を掛けていてもまともな画像にはならず、三脚を使っても光学ズーム+電子ズーム一杯状態では微妙な振動が画像をふらつかせる。YouTubeにアップされている映像群は撮り手の腕がいいだけでなく、条件を最適化するためにかなりの準備をしたものと思われる。

まあそれでも、マニュアルもまともに読まない素人が撮った動画で、どこに展望台があるのか判らない段階から連続撮影して、ズーム極限ではぼんやりながらも展望台の屋上に人がいるようにみえるというのは、まあ満足すべき能力なのかもしれない。しかし、この後一体これで何をすればいいのか、冷静に考えるとかなり虚しくなってしまうのだった。

2016年3月3日木曜日

立体駐車場

私の住んでいるマンションには平駐め、というかもっとうまい言い方があるような気もする普通に敷地の片隅に駐める駐車場と、機械式の地下一階+地上二階式の駐車場があり、後者は平駐めより月2000円ほど安いので、私は契約時には迷わず機械式を選んだ。

自分に割り当てられた番号を入力すると、9つの駐車パレットがかなり複雑な動きをみせた末、目の前に自分のパレットが出て来る。ほぼ6ヶ月になるのにいまだにその動きの法則性をつかめず、どんなに急いでいる時でも出入庫が可能になるのをぼんやり待っていないといけない。そんな時に限って尿意が切迫していたりするのもこれまた不思議で、なるほどこれが月2000円の代償なのかと思い知る。

昨夕帰宅して入庫しようとしていたら、普段の私が利用する位置の隣に入っていた北欧車が地下に沈み込んで行く際に、とんでもない異音を発し始めた。コリャ異常事態だと思うのだが、リセットボタンを押せばいいという発想が出てこない。そうこうしていると北欧車は45度の角度まで傾き転覆寸前になった。薄暗い照明の元で見えたのは、その車の後部座席のドアが開いたままになっていて、駐車設備の枠に引っかかってひっくり返りかけている姿であった。

その直後、頑丈さで世界的に知られているその車の後部ドアは完全にひしゃげてしまい、引っ掛かりから脱した車は駐車設備の一部をぶっ壊しながら、派手な音を立てて通常位置に収まった。あまりに大胆な展開に、緊急連絡先に電話を掛けるのにもしばらく時間がかかったが、本当のことを言うと、どこまで自分に責任があると言われる可能性があるのか、小ズルく考えこんだからに他ならない。私が入庫しようとしなかったら北欧車は無事だったんだし。

結局管理会社に連絡し、やってきた係員からは何のお咎めもなく、「ドア開けといた人の責任ですから」という力強いお言葉を頂き一件落着。私の仕事ではね、明らかな自己責任を、たまたまそれに立ち会った人間のせいだと非難するのが当たり前だと考える人が結構いるんですよ。そんな理不尽さにも出会わず、その夜は安眠。今日になって、北欧車の持ち主からは菓子折りまで頂き、この世はそう悪いところでもないと心も弾んだ早春の一日だった。

2016年2月14日日曜日

グリルダッチオーブンその後

先月衝動買いしてしまったグリルダッチオーブンなる料理器具であるが、予想以上に有用性が高い。根菜類とベーコンなんかを適当に蒸焼きするだけでそれなりの清貧ディナーが出来て、しかもあまり洗い物がでないところが孤老生活にはうってつけ。

もっとレパートリーを広げようと、アップルパイに挑戦。冷凍庫の奥に3年は寝かせてあった(しかも引っ越しの時一度溶けたはず)冷凍パイシートを発見したのと、スーパーで珍しく紅玉を売っていたのでその気になった。

食ったことはあっても作ったことは勿論ないが、多分リンゴのバター砂糖煮みたいなのを作ってそれをパイ皮で包んで焼きゃいいんだろうと、はなはだアバウトな目論見で作業開始。ちょっと不安だったのでクックパッドあたりでカンニングもしておくが、結局ほとんど自己流。クッキングシートとか、パイ皿なんか面倒で使ってられない。

一番の問題は温度と時間であるが、どうせグリルには低中高の三段階しかないし、焼けたかどうか見りゃ判るだろうと、普通の料理と同じ10分強、火力強にセット。結果として表面が少し焦げてしまったものの、まあ何とか形になった。一人で食うにはちょっと多かったので、3分の2ほどを翌日職場に持って行ったらそれなりの評価。お世辞は素直に受け取っておこう。

今年の義理チョコのお返しはこいつで行こうと、3年ものではないパイシートをまたも備蓄するのだが、次回もお世辞が返ってくるかどうかは不明。何となく落語の「寝床」を思い出す嵐の日曜日なのだった。

2016年1月24日日曜日

こんなものを買った。「グリルダッチオーブン」

正月に娘達が帰ってきたのはいいのだが、上の娘が発熱していて、ロキソニンを肴にシャンパンをあおる状態。おまけに職場に戻ってから調べたらインフルエンザAだったとの連絡。3日ほど一緒にいたのだからこれは伝染されたに違いないと覚悟したが別に熱も出ずに経過した。

ところが何故か妙な咳がでるようになり、3週間近く続いてしまった。10数年前に野焼きの煙の中をジョギングしたのがきっかけで咳喘息になったことがあり、それの再発かとステロイドの吸入を始めたら一寸ましになったが、それでも喘鳴を伴う咳が続き、一時は仕事をするのも辛かった。

ようやくここ何日かおさまってきたので、何か書こうという気にもなった次第。こういう時一番書きやすのが買い物の紹介で、今回は「グリルダッチオーブン」という珍品。何の事はない蓋付きの小ぶりフライパンなんだが、台所のレンジの魚焼きグリルに入れて、アウトドア風料理を作れるという触れ込みのツールである。

台所のレンジについている魚焼きグリルは使ったあとの掃除が大変で、私みたいな無精者にはなかなか使いこなせない。焼き魚は電子レンジに入れて使う専用皿みたいなものがあるので、もっぱらそれしか使っていないが、せっかくある機能を使わないのは勿体ないと常々思っていた。たまたま以前バナナスタンドを買った台所用品店で売っていたので、若干の躊躇のあと買ってしまった。

とにかくなんか作ってみようと、付いてきたレシピ集の「ガーリックチキン」を作ってみる。ジャガイモと人参をガーリックオイルで軽く炒め、安売りしていた鶏もも肉の整形クズに塩コショウしたものを加えて蓋をしてグリルに入れて10分一寸。時間が短すぎるんではないかと思ったが、鶏にも野菜にも火は十分通り、塩胡椒だけなのに肉汁があふれ出ている。

いささか地味ではあるものの、ワインを添えてそれなりのディナーの出来上がり。今後も使いこなせるかどうか多少疑問はあるが、半月寝込んでいた反動で買ってしまったガジェットに終わらぬよう精進するつもり。

2015年12月27日日曜日

防災無線の都市伝説

多分、大概の所でも同じだと思うが、私の住む街には、防災無線と呼ばれる広報装置の鉄塔があちこちに立っている。市役所が管理していて、市民に緊急の連絡がある時、それを通じて知らせるのである。

この街は海沿いでもあり、地震や津波情報、避難命令などが主な目的とされているのだろう。とは言うものの、普段は午後四時半頃に「夕焼け小焼け」のメロディーが流れ、良い子に帰宅を促す程度の使われ方である。

そんな防災無線であるが、気象情報、地震情報の間をぬって時たま聴かれるのが「行方不明者のお知らせ」。それも家出した中学生を探すのではなく、認知症を患っていると思われるお年寄りに関するお知らせである。ほとんど夕方、薄暗くなりかけてから放送される。

曰く、今朝早くからどこどこに住むxx歳の女性/男性が行方不明になっていると前置きし、身長や風貌、服装などについて簡単な説明があり、心当たりの人は最寄りの警察署に連絡して欲しいと続く。名前や詳しい住所は知らされず、あれで本人確認出来るのかねと心配してしまう。

私の街の防災無線は放送内容をツイッターに流していて、それを見るとこの9月からの約4ヶ月の間、210件ほどの放送(そのほとんどが気象警報や地震の通知)
があり、そのうち行方不明老人についての放送は12件である。全てがツイッターに投稿されているとは限らないが、月に3回は老人が行方不明になっている勘定である。

基本的には数時間後、そうでなくても翌日には発見されたとアナウンスされ、めでたしめでたしとなることが多い。しかしこの時の言い方に微妙な差があり、それが実際の転帰を暗に示しているのだ、と言うのが主婦たちに噂されていると複数の女性職員が教えてくれた。

というのが「無事に保護されました」と言われる場合と、「発見されました」とさらりと言うだけの場合があり、後者は「行方不明者は死んでいた」という意味なのだと。しかし、徘徊のあげく交通事故にあったり、海や川に落ちて溺死というのは聞く話ではあるがそんなに多いことなんだろうか。

警察庁が昨年秋に認知症に関する省庁連絡会議用に作った資料(PDF)をみると、平成25年度に認知症関連で行方不明となり届け出られた人数は10322人。そのうち所在が確認されたのは10088人である。ただ、警察庁は388人の死亡者も所在確認にカウントしている。行方不明のままの人は151人おり、身元が不明のまま施設などで保護されている少数の人以外はまず死亡しているだろうから、5%強の人は死亡すると見てそれほどのズレはないような気がする。

けっこう大きな数字なのだが、それが起こる確率はそう高くなく、ましてやアナウンスで言い分ける程ではない。先ほどの防災ツイッターを見れば、保護の知らせはすべて「発見されました」である。ツイッターで文字化されたものと実際の放送が一緒である保証はないが、仮に表現が違う場合であっても、アナウンスする人のその時の気分以上の理由はなさそうである。

では何故こんな噂話が生まれるのだろう。これは実際に認知症老人介護を担っている人々(その殆どが主婦たち)、およびやがて来るかもしれない介護の日々を予感している人たちが、その苦痛からの解放希求を控えめに表現したファンタジーなのではないか、と言うのが私の独断的考察。

介護者を悩ます徘徊が、同時に根本的問題の消滅に繋がるかもしれないという、人には言えない期待が、防災無線アナウンスの微妙なニュアンスの違いとして表現されているかのように聞き取れてしまうのではないか。いささか不謹慎な意見ではあるものの、家族に介護を押し付けることをメインとするこの国の認知症対策ポリシーのもとでは、そう感じるのも致し方なかろうと思う。

2015年12月23日水曜日

バナナスタンド

駅前に前から気になっているキッチンウェアの店があり、一度入ってみようと思っていたのだが、何となく価格設定が高そうで入りそびれていた。田舎街とはいえ、駅前で鍋釜売るからにはそれなりの採算目論見もあるだろうし。

たまたまお好み焼き用のコテ(テコとも言うがどちらが正しいのかは知らない)が必要となり、いい機会とばかりに入ってみる。そして10分余の探索の末、ここには売っていないという結論。関東だから仕方ないのかなと思ったが、もんじゃ焼きのヘラもなかったので、粉モンには関わらぬという店主のポリシーなのかもしれない。

そこでサッサと帰ればいいのだが、一大決心で入ってきたからにはなにか買わないとイカンと言う気分になり、と言って何万もする和包丁などには手が出ない。そこで見つけたのがこの「バナナスタンド」。冷蔵庫に入れると痛みがかえって早いバナナの保存に役立ち、それ自体がオブジェにもなるという触れ込み。

オブジェになるかどうかは疑問ながら、たしかに横置きしていると底面から痛むバナナの保存には誠に適したものであるように思える。朝飯はバナナだけで済ますことが多い私には、バナナの合理的長期保存は重要問題である。値段も二割引き900円との事で、役に立たなくてもそうダメージはないだろうと購入。

実際に使ってみると…。やはり3日もすれば皮は黒ずみ、そうたいして長期保存を可能にしてくれるわけではない。確かに一部が先に真っ黒けという事態は少なくなるけれど。ええい、ここはバナナオブジェ機能だけでも享受しようと気持ちを切り替えるが、全体が黒ずんだバナナはそう鑑賞に耐えるものではない。アマゾンでは1200円ほどで売っていた、と言うのが唯一の救いかな。