今日は本来なら「研修日」と言う名の平日休みなのに、関連病院で半日ドックなるものを受けよとの人事部からの仰せ。高齢職員は普通の職員検診ではなく、別枠でタップリと検査を用意するとのことである。
正直言うと、私は健康診断なるものに意義を見出せない立場である。ガソリンスタンドでボンネットを開けろと言われて点検してもらうと、オイルを入れ替えろ、水抜き剤を入れろなどと、いい商売のカモにされてしまうが、あれと健診はほぼ同じコンセプトだと思えるのである。
それに年に一度や二度適当な医学的検査をして仮に病的初見がなかったからといって、それが健康を意味する訳がないとも考えている。健康とはもっと前向きに、自らが主体的に勝ち取っていくもので、医療機関からお墨付きをもらうようなものではないと。だから40代過ぎ頃までは健診はすべてサボっていた。
10年ぐらい前からは仕方なしというか、いい年寄りが勝手なことも言ってられないだろうと嫌々ながらに健診を受けるようになった。少なくとも企業健診というものは医学医療の理念に関わる問題というより、職員を半病人に仕立てるようなことはしていないぞと言う、企業側の人事管理姿勢の問題なのだということを達観したから、とも言える。
とは言いつつ、やはり引っ掛かり感は残る。大体、「ドック」という言葉からして気に入らない。船がドックに入れば検査もするが、それ以上に様々な保守作業も施されるわけである。人間の場合、別に保守作業があるわけでもなく、負担のかかる検査が続くばかり。異常が見つかればかかりつけ医の所で結局同じ検査をするわけで、医療資源の無駄遣い以外の何物でも…。
いやいや、そういう見方はやめにしたのだった。おとなしく半日の苦行に耐え、義務を果たした自分へのご褒美に昼過ぎからワインでも、と瞬間考えたがそれもやめ、掃除と洗濯の休日メニューを黙々とこなしたのだった。でも、便潜血検体に猫の糞を持っていくぐらいのサボタージュは図るべきだったなと、多少の悔いが残らないでもない。
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