2013年10月18日金曜日

五木寛之の講演会

神奈川県はソフトとハード、二重の精神科救急網を完備していると自称している。実際、そこそこ機能しているので、自称などという言い方は失礼なのは判るのだが、どことなくぎこちないのは事実である。

ソフトというのは、急な病状悪化が見られる患者さんが受診したが、ベッドの空きがないというような場合。県精神科救急受付というところに電話すればいいことになっているが、これは夜間だけ機能することになっている。日中なら不安定な患者さんを抱えた医療機関が自力で受け入れ先を探すことになる。

ハードというのは病状悪化のため何らかの事件を起こしてしまい、警察に保護されているというような場合。いわゆる措置入院申請が警察官、検察官から出されている場合で、神奈川ではこれを精神病院協会加盟の病院が輪番で受け入れる体制を作った。県がいくばくかの補助金を出し、輪番病院に人を確保してベッドを開けておくためのお金を配分するわけである。

この制度は案外うまく機能しており、まず金の流れを先に考えたことの利点に感心させられる。今は他の都府県でも同じなのかもしれないが、少なくとも今まで私が在籍したあちこちの病院所在地では、あまりスマートではない受け入れ交渉をしていたものだった。

精神病院協会を基本組織としたのも秀逸である。40年ぐらい前、かの武見太郎元医師会会長をして「牧畜業者」と揶揄させた私立精神科単科病院の既得権防衛組織だった団体である。様々な自己改革もあり当時とはぜんぜん違うのだが、やはりそこは自らの存続を第一に考えるしかないのは致し方無い。一定の金銭的メリットを与えつつ、社会的セルフエスティームも付与する制度を考えた人は本当に偉い。

問題は、そのハード救急システムに関与しようとすると、その精神科病院協会に加盟しないといけないことで、私の職場のように総合病院の中に付録のように付いている精神科治療ユニットの場合、結局私が代表としてそこの活動に関与しないといけなくなってしまう。出来れば何もしないで給料泥棒に徹したい私としては実にまずい展開である。

今日はその県精神病院協会の50周年記念式典とのこと。致し方なく慣れないスーツ姿で会場に赴く。式典の後は記念講演があり、それが何故か作家の五木寛之氏によるものであった。五木氏には「凍河」という神奈川県の精神病院を舞台にした小説があり、映画やTVドラマにもなっているので、その辺の関連なのかなと思っていたが、それは全く紹介でも触れられず、本人も語らなかった。小説のモデル病院の故院長、昔は懇意にしていたので後で偉そうに吹聴できるかと思ってたのに。

五木氏は「悲しみの効用」と題して、抑うつが日本社会の基本的問題のように議論され、また実際それをいかにして排除するのかという問題提起ばかりが優先しているが、悲しみや憂いを人の基本的あり方とする文化を自分たちが持っていたことを忘れないようにしないといけない、というような内容の講演をされたように思う。

ポルトガルのファドとか、アメリカのブルースなんかをその議論の傍証にするのはさすがに五木氏ならでは。日本では大正中期ごろまで、「暗愁」という言葉が生きていたんだそうで、ポジティヴな思考の背景に、このような一種のネガティヴ感情が縁取られているからこそ、我々の生がより豊かになりうるという発想をするべきではないかという提起は、実に示唆に富むものだと思えた。

まあ私なんか、どうせ20年もしないうちに死ぬんだし、自分が手に入れて満足だと思っているものもそのうち無くなる運命なんだから、今やれることをやるしかないと、いつも念じながら生きておりますが。それにしても、職場で「五木ひろしの公演を観に早引けした」と言われてないか、それが一番心配。

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