昔、と言っても40年ぐらい前のこと(充分昔だ)、友人が「重力の虹」という分厚い二分冊の小説をいつも持ち歩いていて、その文学趣味の深遠さをアピールしていたものだった。
その内容を尋ねると、時空を超越した、物語という概念そのものへの挑戦とでも言うものなのだという返事。なんだかよく判らない。
そもそも一度にどうして二分冊の小説を持ち歩くのだろうとこちらは不思議に思い、もしかしたらアピールだけで読んでないのではないかと訝ったものだが、おそらくその疑問はあたっていたと思う。トマス・ピンチョンという小説家はそんなふうに私の前を横切り、40年間忘れられていた。
たまたまアマゾンのマーケットプレイスでピンチョンの新作(と言っても4年前)であるLAヴァイスなる小説が安売りされているのに気づき、早速買い込んだ。買った理由は昔の記憶以上に、カバーの画像。なんだかグランドセフトオートの包装を思い起こさせるものだったのが大きい。
時代設定は70年代初頭のLA。元ヒッピーで今もマリファナ漬け私立探偵ドックのところに、昔の女が訪ねてくる。「助けがいるのよ、ドック」。このハードボイルドお約束てんこ盛りにたまらず後を読み続けたのだが、さすがにポストモダンと言われる作家だけのことはあって、並の努力では読み通せなかった。
筋書き自体は典型的ハードボイルド探偵小説であるものの、とにかく当時のサーフ・ロックやTVショーのトリビアとか、ドックの幻覚やら妄想観念への言及が入り乱れる。格調の低いドストエフスキーかジェイムズ・ジョイス(両方とも本気で読んだことはないが)、エロさでは同等のヘンリー・ミラーあたりのくどさと付き合う決意が必要。
それでも探偵小説としての筋書きは見事に完結し、その後になんだかよく判らないまま、物語そのものへの懐疑というか、そんな独特の読後感を残す怪作といえるのかもしれない。単なる難解小説家の筆のすさびと言う説も有力ではあるが。
それでも私はこの小説と出会えたことを純粋に喜びたい。というのも、ピンチョンは日本の怪獣映画への造詣も深いらしく、この小説のなかで64年の東宝映画「三大怪獣 地球最後の決戦」についてのトリビアを添えてくれている。そこでピンチョンはこの映画が「ローマの休日」のリメイクであることを喝破しているのだ(まあWikipediaでも指摘されている事だが)。
私は中学二年の時この映画を見ているのだが、当然「ローマの休日」はまだ見ていなかった。TVの洋画劇場でそれを観た時、どうにもデジャブ感がついて回って弱った。その理由がやっとわかったことだけでも、ピンチョン、只者ではなかろうと感服してしまうのである。
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