2015年12月27日日曜日

防災無線の都市伝説

多分、大概の所でも同じだと思うが、私の住む街には、防災無線と呼ばれる広報装置の鉄塔があちこちに立っている。市役所が管理していて、市民に緊急の連絡がある時、それを通じて知らせるのである。

この街は海沿いでもあり、地震や津波情報、避難命令などが主な目的とされているのだろう。とは言うものの、普段は午後四時半頃に「夕焼け小焼け」のメロディーが流れ、良い子に帰宅を促す程度の使われ方である。

そんな防災無線であるが、気象情報、地震情報の間をぬって時たま聴かれるのが「行方不明者のお知らせ」。それも家出した中学生を探すのではなく、認知症を患っていると思われるお年寄りに関するお知らせである。ほとんど夕方、薄暗くなりかけてから放送される。

曰く、今朝早くからどこどこに住むxx歳の女性/男性が行方不明になっていると前置きし、身長や風貌、服装などについて簡単な説明があり、心当たりの人は最寄りの警察署に連絡して欲しいと続く。名前や詳しい住所は知らされず、あれで本人確認出来るのかねと心配してしまう。

私の街の防災無線は放送内容をツイッターに流していて、それを見るとこの9月からの約4ヶ月の間、210件ほどの放送(そのほとんどが気象警報や地震の通知)
があり、そのうち行方不明老人についての放送は12件である。全てがツイッターに投稿されているとは限らないが、月に3回は老人が行方不明になっている勘定である。

基本的には数時間後、そうでなくても翌日には発見されたとアナウンスされ、めでたしめでたしとなることが多い。しかしこの時の言い方に微妙な差があり、それが実際の転帰を暗に示しているのだ、と言うのが主婦たちに噂されていると複数の女性職員が教えてくれた。

というのが「無事に保護されました」と言われる場合と、「発見されました」とさらりと言うだけの場合があり、後者は「行方不明者は死んでいた」という意味なのだと。しかし、徘徊のあげく交通事故にあったり、海や川に落ちて溺死というのは聞く話ではあるがそんなに多いことなんだろうか。

警察庁が昨年秋に認知症に関する省庁連絡会議用に作った資料(PDF)をみると、平成25年度に認知症関連で行方不明となり届け出られた人数は10322人。そのうち所在が確認されたのは10088人である。ただ、警察庁は388人の死亡者も所在確認にカウントしている。行方不明のままの人は151人おり、身元が不明のまま施設などで保護されている少数の人以外はまず死亡しているだろうから、5%強の人は死亡すると見てそれほどのズレはないような気がする。

けっこう大きな数字なのだが、それが起こる確率はそう高くなく、ましてやアナウンスで言い分ける程ではない。先ほどの防災ツイッターを見れば、保護の知らせはすべて「発見されました」である。ツイッターで文字化されたものと実際の放送が一緒である保証はないが、仮に表現が違う場合であっても、アナウンスする人のその時の気分以上の理由はなさそうである。

では何故こんな噂話が生まれるのだろう。これは実際に認知症老人介護を担っている人々(その殆どが主婦たち)、およびやがて来るかもしれない介護の日々を予感している人たちが、その苦痛からの解放希求を控えめに表現したファンタジーなのではないか、と言うのが私の独断的考察。

介護者を悩ます徘徊が、同時に根本的問題の消滅に繋がるかもしれないという、人には言えない期待が、防災無線アナウンスの微妙なニュアンスの違いとして表現されているかのように聞き取れてしまうのではないか。いささか不謹慎な意見ではあるものの、家族に介護を押し付けることをメインとするこの国の認知症対策ポリシーのもとでは、そう感じるのも致し方なかろうと思う。

2015年12月23日水曜日

バナナスタンド

駅前に前から気になっているキッチンウェアの店があり、一度入ってみようと思っていたのだが、何となく価格設定が高そうで入りそびれていた。田舎街とはいえ、駅前で鍋釜売るからにはそれなりの採算目論見もあるだろうし。

たまたまお好み焼き用のコテ(テコとも言うがどちらが正しいのかは知らない)が必要となり、いい機会とばかりに入ってみる。そして10分余の探索の末、ここには売っていないという結論。関東だから仕方ないのかなと思ったが、もんじゃ焼きのヘラもなかったので、粉モンには関わらぬという店主のポリシーなのかもしれない。

そこでサッサと帰ればいいのだが、一大決心で入ってきたからにはなにか買わないとイカンと言う気分になり、と言って何万もする和包丁などには手が出ない。そこで見つけたのがこの「バナナスタンド」。冷蔵庫に入れると痛みがかえって早いバナナの保存に役立ち、それ自体がオブジェにもなるという触れ込み。

オブジェになるかどうかは疑問ながら、たしかに横置きしていると底面から痛むバナナの保存には誠に適したものであるように思える。朝飯はバナナだけで済ますことが多い私には、バナナの合理的長期保存は重要問題である。値段も二割引き900円との事で、役に立たなくてもそうダメージはないだろうと購入。

実際に使ってみると…。やはり3日もすれば皮は黒ずみ、そうたいして長期保存を可能にしてくれるわけではない。確かに一部が先に真っ黒けという事態は少なくなるけれど。ええい、ここはバナナオブジェ機能だけでも享受しようと気持ちを切り替えるが、全体が黒ずんだバナナはそう鑑賞に耐えるものではない。アマゾンでは1200円ほどで売っていた、と言うのが唯一の救いかな。

2015年12月17日木曜日

モナドの領域

何処で知ったのか忘れてしまったが、かの筒井康隆が新作長編を出し、それも著者自ら「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」と宣言しているそうな。これは読まねばならぬとアマゾンで注文。ただ単行本を買うと1500円もするので、全文が掲載されている雑誌「新潮」を980円で購入。500円得した高揚感で一気に読了。

で、感想なのだがいささか微妙である。公園で発見された女の片腕、バラバラ殺人と思われる事件の捜査にあたる美男でインテリの警部、皮肉屋で饒舌なベテラン鑑識課員、彼らの初動捜査段階には合相応しくないマニアックな美学的会話から物語は始まる。

鑑識課員はこれが「極めて大きな何事かの濫觴」だという感想を述べるのだが、ここで何となく悪い予感。「濫觴」なんて言葉、日常で使うことあるか?ましてや殺人事件の捜査過程の雑談で。そもそもこの言葉、ランショウという音もきついし、漢字の印象もあまりに硬い。

濫は氾濫とか濫用とかの、みだりに過剰なという意味を先に連想してしまうし、觴に至っては何だか判らず、角が尖ったもので傷つけられるような不吉なイメージを持つばかり。両者からは溢れる禍々しさは受け取れても、小さな流れに盃を浮かべるといったほのぼのさは全く感じられないのだ。

そりゃお前の無知のせいだろと言われるだろうが、私にはこの言葉からは、ひけらかしとか、見掛け倒しといったメタなメッセージを受け取ってしまい、それが最後まで先入観として残ってしまった。では、つまらなかったのかと言うとそんなことはなく、十分楽しんで3時間余を過ごすことは出来た。ただその楽しさは、例えば水戸黄門がその権力を使って、非道な悪漢どもを懲らしめる爽快さのようなものである。

全知全能の存在が人間社会で絶対とされる正義や善という観念を軽々と手玉に取り、次々と繰り出される古今東西の知識人たちの該博というレベルを超えた引用で解説していく様は見事というしかない。結局最後は神をこえたその存在は、ある意味での叙述トリックなのだということが仄めかされるあたりで、ああまたこれかいな、と溜息をついて残りをそさくさと読み飛ばすことになるけれど。

私は以前から、筒井康隆の小説はとても面白いのに、彼が稀に書く芝居はさっぱり面白くないのは何故なんだろうと不思議に思っていた。この小説を読むと、何となくその理由がわかるような気がする。筒井の真似をしてわかりにくい表現をするなら、可能世界は言語によってそのすべてが記述されるわけではなく、言語で描かれる世界はモナドの領域の一部に過ぎないということだ。おまけにそのモナドには窓もあるということに、筒井は少々無自覚なのではないだろうか。

2015年12月7日月曜日

Playback.fm

Facebookで友人がPlayback.fmというサイトを紹介していた。一種の音楽配信サービスなんだが、コンテンツはYouTubeから丸パクリ。独自の工夫はある時点でもっとも流行っていた(ただし米国での話だが)曲を検索できる点。そのサイトでは"Find the #1 Song on the Day You Were Born"と題して、誕生日に特化した作りとなっている。

気になるので早速自分の誕生日、1950年7月1日を検索してみれば、なんとアントン・カラスの奏でる映画「第三の男」のテーマ曲のチター演奏が流れてきた。私、この映画もテーマ曲も大好きなんだよね。これともう一つ「カサブランカ」を足せば、私にとって成熟し適度にヘタレた男の理想像を描いたイデア的作品になると言って過言ではない。そうだったのか、自分が生まれた時少なくとも米国でもっとも聴かれていた曲だったんだ。特別の感情を刺激されるのも当然だ。

ついでに、同じサイトが提供する"Find #1 Movie Day You Were Born & Watch Trailer"という映画版を検索してみる。そうしたら「花嫁の父」というコメディ映画だった。これは見てはいないが40年後にリメイクされた「花嫁のパパ」というのは見ていたので、結構面白いものだったと予想される。オリジナルには若き日のエリザベス・テイラーが出ているぐらいで。

何であれ、自分の誕生日にけっこう印象的な音楽が流行っていたことを知ったのは収穫だった。自分とは何の関係もないんだけど。それにしてもチターという楽器はすごい。超高度なテクニックを要求されるんだろうが、一台でオーケストラ並の音の広がりを表現出来る。監督はこれをはじめて聞いた時、既に映画の成功を確信したに違いない。

2015年11月26日木曜日

シルバー整髪

ここ10年以上、散髪といえば1000円の店しか行っていなかった。昔はホテルの整髪室なんか使って、数千円出していたこともあるが、今考えるととても正気の沙汰ではない。世の中に1000円床屋というものが広まり始めると、ごく当然のようにそちらを選ぶようになった。

安いだけではなく、10分そこらで終わるので生活時間を侵害しない。それに薄毛に悩まされる体質ではないという幸運もあり、妙な育毛対策も必要ない。そもそも大金かけて凝った作業を頭髪に施しても、それに見合うルックスを欠くので大した意味は無いのである。

そんな訳でずっと1000円床屋のお得意さんだったわけだが、いいことばかりではない。消費税アップ以降には1000円と言いつつ1080円取られるようになったし、シャンプーがなく、掃除機で毛くずを吸い取るだけなので、早めに入浴して頭を洗わないと気持ち悪い。風呂から上がったら妙にリラックスしてしまい、早くからワインなんか飲み始めたりして、休日のTO DOスケジュールは台無しとなることがしばしば。「生活時間を侵害しない」はずなのに。

引越し後、自宅の近くに「シルバー整髪」と看板に書かれた理髪店を発見した時には目が釘付けになった。60歳以上だと1600円でシャンプー、顔剃り込みの整髪をしてくれるというのである。520円アップではあるものの、この歳になったことで初めて具体的金銭的メリットを得られる機会だと思うと少々心が踊った。

そんな訳で、髪の毛も十分伸びたし、平日休みの今日、いざその店に出陣。久々の後ろに倒れるでかい椅子と、鏡の前に据えられたシャワー付きシンクに感激する。シャンプー中の「痒いとこありませんか?」の定例質問にも思わず笑みがもれて口に泡が入りかける。

初利用ということで顧客カードを作ってくれるのだが、「50代ですか?」というお世辞にも乗らず、「いえ60代です!!」とキッパリ。金がかかっている場合、多少の見栄など出てくる余地はない。そうして1600円を払って悠々と帰宅したのだった。ただ出るときに壁に掲げられた料金表を見てみれば、この店は若い人も整髪料が1900円らしく、いささかお得気分が減少したのは否めなかった。

2015年11月15日日曜日

久々の富士山

ここ何日か雨や曇が続いていたのが、久々に夕方になって晴れあがり、赤富士の如き山頂が顔を出している。引っ越してきた我が家からは一応富士山が見えるのだが、残念なことに手前のビルに半分ほど隠れてしまうのと、大きくベランダから身を乗り出さないといけないのが難点である。

最近不運が続いており、つるりとしたスマホなどで安易に写真を取ろうとすると取り落として大事故の加害者になってしまいそうなので、引越し荷物の底の方から回収した10年前ぐらいのデジタル一眼を持ち出し、ストラップが劣化していないことをよく確かめて写真を撮るべくベランダへ。

当然のごとく電池切れで、慌てて家捜しして電池を入れ替えている間に薄暗くなってしまったが、やはり富士は富士。勇壮かつ華麗な姿を暮れなずむ夕空に留めていてくれる。こちらの寿命が尽きるまでは、視界を遮る新しいビルが建たないことを願いつつ、今日一日の無事を富士に感謝する夕暮れなのだった。

2015年11月6日金曜日

スマホとiPadに大散財

先日の休みの日に朝寝していたら、どこからか聞いたことのない音楽というか、ジングルというか、言うならば携帯電話の呼び出し音のようなものが聞こえる。なんか判らんが自分とは関係ないと決め込んでいたら、今度は固定電話の呼び出し。中身は職場からの問い合わせで、すぐに終わったがどうして携帯にかけてこない?

職員が言うには、携帯に何度もかけたが出ないので固定電話にかけたのだと。してみると先程の呼び出しは私あてだったのだ。目がまだ覚めやらぬまま携帯を眺めてみれば、外部SDカードが読み込まれておらず、そこに保存してあった呼び出し音が消えていて別のものに切り変わっていたのだった。カメラや仕事関連のファイルもごっそり消えている。

修理のため貴重な休日をドコモショップで過ごすことになるが、ここがまたものすごい人出。数時間待ちとのこと。午後の予約時間前に出直すが、順番はまだまだ回ってきそうにない。ここには予診係みたいな人がいて、窓口に座るまでに問題を聞いてくれるのだが、カード自体の異常かも知れないし、本体の異常かもしれず、個人情報の観点からはカードを調べるわけには行かないのだと言う。

本体の検査修理には異常あるなしにかかわらず2万程かかるので、割引制度を利用した新機種交換とほとんど負担は同じなのだと。三年使っている今のアンドロイドには満足していたが、負担がそう変わらずに新機種になるなら交換のチャンスかもなと思ってしまった。あとは窓口で手続をと言ってその予診係は消えてしまい、私は更に待ちぼうけ。

そこに別のキャッチ系お兄さんが現れる。いまキャンペーンをやっていてスマホとiPadを同時契約すると通信費はほとんど増えない。iPadのハード費用もほとんど無料になるという。私は最初期型のiPadを持っているが、カメラはないしiOS9が入らないので使えるアプリは減るばかりという現状にいささか参っており、ハード無料で通信費も安いというなら交換のチャンスと思ってしまった。後にそれは大間違いと知れたが、キャッチ君の説明はどう聞いても「ほとんど費用はかからない」という内容であった。

やっと窓口に呼ばれ、スマホとiPadの契約をしたが、一括で10数万なんぼという説明。あれ、機種交換に2万程度とハードはほぼ無料じゃなかったけ。向こうの言うには月々分割の場合、通信料の大幅割引きでいままでと負担はほとんど変わらないのだが、一括ならハード費用はそのまま払ってもらうしかない。通信費はかなり安くなるので、二年の間には今日払う費用はほぼチャラになる(かもしれない)とのこと。

明日の100円よりは今日の10円という関西人感覚からはいささか受け入れ難かったが、今更どうにもならない。ドコモショップを出ると外はもう薄暗い。時間と金を無駄にしてしまった虚しさが、吹き始めた冬風に倍加される晩秋の夕暮れなのだった。

2015年10月4日日曜日

車にはねられてしまった その2

ストレッチャーに乗せられて天井の照明が過ぎ行くのを見ていると、子供の頃見ていた医療ドラマ「ベン・ケーシー」のオープニングを思い出す。たしかあの映像では頭を先にしてストレッチャーを移動させていたが、それは患者に不安を与えるので、よろしくないんだよな。その夜の救急隊員も頭を先にしている。ちゃんと研修させにゃ行かんなどと考えていると救急室に到着。

明るいイケメン看護師が問診、その後にもう一度同じことを研修医に説明。この時点でネックカラーを付けさせられるが、頭頸部がデカ目の私には苦しいだけ。これナシではダメ?と頼んでみるが「規則だから」と取り合ってもらえない。輸液ラインまで取ると言い出したので、それはマジに拒否。

しかし研修医は私のTシャツに白いシミが浮いているのを目ざとく見つけ、やってきた指導医に、多量の発汗のせいで塩が浮いているようなのでショックの可能性を考える必要があるのでは、と提案している。あのー、このシミは歯磨き粉がたれてできたもので…と説明しようとしたが何だか恥ずかしくて言えなかった。

まあ、ケロッとしているし、レントゲンとCT、内蔵損傷チェックのための超音波検査しておけばいいだろうと言う話に落ち着き、一通りの苦行をおえて無罪放免。筋肉痛がひどいが、面倒臭かったので痛み止めはもらわなかった。家にあるのを適当に飲んでおこうと思ったのだが、すでにダンボールに詰められているのを忘れていて、一晩激しい全身の筋肉痛にさいなまれる。

最近の救急医療というのは全身状態には過剰なまでの注意は払うが、膝や手に今そこにある擦過傷などには余り関心がないらしく、傷は結局ほったらかし。帰るときに看護スタッフから、「傷はシャワーで洗って、市販のカットバンを貼っておいてください」と言われてひっくり返りかける。

帰ってから膝の傷をシャワーで洗ったら、アスファルトのカケラが2個ほどでてきたが、まあそれは良しとしておこう。買い置きしてあったキズパワーパッドのおかげか、10日目にはほぼ傷が塞がったので、妙な消毒やらガーゼを使わないというのは方針としては正しいのだろう。病院で洗浄してちゃんとドレッシングしてくれないのは不思議だが。全身の筋肉痛のほうはいまだに続いており、ダンボールに囲まれた生活が改善されないのはそのせいなのだ。

今回の教訓。
①どうせ車にはねられるなら、メルセデスに限る。
②病院に行くときは歯磨き粉を垂らしたTシャツなどは着用禁忌。

2015年10月3日土曜日

車にはねられてしまった

表題通りなんだが、時は既に10日以上前、明日は引っ越しの本作業という先月21日夜のことである。引越し作業で出た山のようなゴミを収集所に持って行った帰り、マンションへのアプローチ通路兼駐車場で、突然背中に大きな衝撃を受けて1m以上ふっ飛ばされた。

地面にたたきつけられる寸前、かなり冷静にこう考えていた。ライトが見えなかったので、どうもバックしてきた車にはねられたらしい。一番怖いのは向こうが気づかずにそのまままた轢かれてしまうことなので、着地後なるべく外側に移動できるようにしないといけない。

その後どうしたかはあまり良く覚えていないのだが、両膝と右手の甲、右上腕外側に擦り傷があるところから、一旦膝をつきながらも右前方に一回転して不十分ながらも受け身をとったようである。右頬に軽い擦過傷はあるが、頭をまともに売ってもいないようだ。昔いい加減に習った柔道の技が少しは役に立ったようだ。
 
もっとも仰向けになった位置で自分と車を見てみれば、完全に車の軌跡からは外れておらず、そのまま車がバックすれば両足轢断と言うハメになるところだった。相手の車はマンションの駐車場でいつも目立っていたメルセデスのワゴンで、これが普通の3ボックスカーなら上に跳ね上げられてひどい怪我を追っていたかもしれない。

骨が折れている様子もなし、擦り傷だけだと判断したのだが、こんな時は動かないほうがいいと思われ、救急車を呼んでもらうことにする。この辺で一番大きな救急病院を指定し、面映ゆくも救急車の中の人に。大したことないんだがなぁと思いつつも、ストレッチャーに乗る時全く自分の力では動けなかったのが気になった。勿論、一番気になったのは翌日の引越し作業のことである。(続く)

2015年9月30日水曜日

やっとネットがつながった

引っ越しというか、荷物の運送と運びこみ自体は一週間前には終わったのだが、何しろ安上がりプランなもので、業者は家具を大まかに配置してくれるのと、小物が入ったダンボールを運びこんでくれるだけの契約である、生活に必要な物資がどこにあるのかも判らず、当然食事を作る事も出来ない。

ここ10日近く朝飯はコンビニおにぎり、昼はパンと牛乳、ディナーはサイゼリアと言う生活。夜はココイチと言う日もあったが、あんまり変わらん。寝る時もシーツが見つからず、ベッドマットに直接寝る始末で、いささかグロッキー気味。それでも早く帰ってダンボールを片付けないとと思うのだが、それがままならない。こんな時に限って仕事は忙しく、どうでもいい様な会議や雑用が打ち続く。

その上に引越の前日、思わぬ事態に遭遇してしまい、作業進行には今現在も大きな阻害要因となっている。その件については後述ということにしたい。先ほどダンボールの山の中からMacBookをやっと回収したのだが、何故かマウスがない。私、トラックパッドが苦手なんですよね。ここまで入力するのも大変だったので詳しい話は明日以降。そう期待するような話ではないが。

2015年9月20日日曜日

浅草で一泊

毎年今頃に娘達と恒例になっている亡き妻の慰霊大酒飲み大会を浅草で開催。当初は妻が好きだったクラシックホテル、箱根の富士屋ホテルとか日光の金谷ホテルなんかを利用することにしていたのだが、結構物入りなのと遠くまで行くのが面倒という理由で、昨年からは都内開催に簡易化。

それでも一応家族4人で泊まったことのある所にしようと言うことで、今年は浅草ビューホテルを選択。25年ぐらい前に初詣で利用したことがある。その時の印象はいささか危ない土地柄に聳え立つ白亜の超高級ホテルというものだったが、久しぶりに来てみれば、ビジネスホテルにまばらに毛が生えた、かなりヘタリが目立つ宿泊施設だった。記憶の中で美化されていたんですな。娘達の意見も同じ。

ホテルのレストランには余り期待できそうにないので、地元の雰囲気を満喫しようと焼肉屋とイタリアンバルをハシゴ。浅草の街はなかなかの情緒で、ぶらぶら歩きしているだけでも楽しい。土曜日のせいか夜遅くまで行きかう人波が絶えず、路上のテーブルで人々が飲み食う様子は東南アジアを思わせるエネルギーあふれるムード。こちらも触発され、さらにコンビニで酒とつまみを買い込みホテルの部屋でグダグダと飲み続ける。

結局いつの間にやら眠りこけていて、慰霊の夜は過ぎてしまった。娘達と分かれて、引越し荷物作りのために上野湘南ライン(こんなのがいつの間にか出来ていたので驚き)で帰宅。もう鍋も食器も片付けてしまったので、連休中はコンビニおにぎりとファミレス定食で過ごすことになる。そういえばネットの撤去作業の業者がもうじき来るんだった。本当に新居で生活再建が出来るんだろうかと、一寸不安になる二日酔いの休日なのだった。

2015年9月13日日曜日

縫いぐるみがお気に入り

引越し荷物まとめの作業中、押し入れの奥から古びた犬の縫いぐるみを回収した。娘たちが子供の頃、さんざん一緒に遊んでほとんど擦り切れかかっていたもの。名前もつけていた筈だが忘れてしまった。捨てずにとってあったんですな。

勝手に捨ててしまうのも何なのでソファーの上に放り出しておいたら、猫がいたく気に入ったのか、終日寄り添って寝るようになった。たまにちょっと蹴飛ばしてみたり、鼻先をなめたりしているので、自分の同類だと思っているのかもしれない。

何だこいつ、親戚っぽいけど何も言わないな。この家の匂いが染み付いているから、ここに住んでたんだろうな。でも、かまってやってもえらく反応が鈍いぞ。ちょっとトロいのかな。まあ、悪さもしてこないし、一緒に寝ていてやろう。と言うような感じか。

おかげで私の寝床に入ってくることがほとんどなくなり、荷造り作業がまだまだ続く中、抜け毛掃除にとられる手間がかなり減ったのが有難い。新居の方にも持っていくしかあるまい。こうして捨てられない過去のボロの類が、またひとつ増えるのだった。

薄暗かったのでフラッシュを焚いたら、色目が飛んでしまって白黒写真みたいになってしまったが、どうせノエルはカラーであろうが白黒であろうが、いつも黒。

2015年9月6日日曜日

引越し準備に青息吐息

引っ越しの日を9月の連休と決めたのはいいのだが、老後の蓄えを少しでも残そうというセコイ考えのもと、引っ越し業者の見積もりから、かなり安上がりなプランを選んでしまった。一人暮らしの事、荷物準備に大した手間はいらんだろうと思ったのである。

しかしよく考えれば今は一人暮らしとはいえ、かっての4人家族生活の遺物をほとんど抱えたままなのである。煎茶でも抹茶でも20人以上招いて茶会が開けそうな道具を持っている独り者と言うのは、かなり稀な存在なのではないかと思うがどんなものだろう。塗りのお盆も30枚ほどあったな。後は推して知るべしである。

そんな訳でここ何日か、荷物をダンボールに詰めるだけの毎日である。大きな家具などは業者が運んでくれるが、中の小物はこちらが整理梱包しておかないといけない。幸いなことに、10年以上前に「蔵書」というものは持たないことにして、医学書は勤め先の図書室に、人文系の全集などは公共の図書館に寄付してしまった。フロイトもウィトゲンシュタインも柳田國男も南方熊楠もきっと本望であろう。こちらも労力が半分。

それでもちょっと気になる本とか、たまに読み返すので取っておいてある本もまだたくさんあり、これの扱いが大変。本は集まるとやたらに重く、ダンボール一箱で30kg近くにはなる。まとまるとトン単位になるダンボールの置き場がないので寝室にも積み上げてあるのだが、地震でもあって崩れれば圧死は確実である。

その上、目についたものから箱に詰めてしまうものだから、当面の生活必需品が全く揃わない。食器棚の底の方からレトルトカレーを発見したので、晩飯はこれにしようと温め始めたのはいいが、お皿をみんな片づけてしまっていた。ドンブリしかなく、おまけにスプーンがない。仕方なく箸で食べていると実に情けなくなってくる。

せめて少しでも猫が手伝ってくれたらなぁと思うのだが、邪魔はしても助けてくれるはずもない。大体、引越し当日、こいつをどうしておけばいいのだろうかと、悩みの種は増えるばかりなのだった。

2015年8月30日日曜日

ビバ、ホワイトベルグ

私は10年前ぐらいから心房細動の発作が出るようになり、やがて慢性化していつも脈が三三七拍子を打つようになってしまった。脈が不整だと血流が不安定になり、血栓が出来やすくなる。私の父親も心房細動があり、結局脳梗塞を起こして死んでしまった。今の私の年齢より3歳上だった。

それを見ていたものだから、あまり安らかに当時の治療常識、頻脈にならないようにし、同時に血栓予防を図る、と言う方針を不安なく受け入れられなかった。大体、ワーファリンという血栓予防薬を飲んでいると納豆とか多量の緑黄色野菜が食べられないのである。関西人ながら納豆好きの私には耐えられない。

そんな訳で6年前にカテーテルアブレーションという根治術をうけ、劇的に不整脈は完治したのだが、何故か不思議なことに、その治療を受けてからビールを美味いと思えなくなった。汗ダラダラの夏の日の終わりに、でかいジョッキでキンキンに冷えたビールを一気にゴクゴク、ぷふあーうま~い、と言うのが感じられなくなり、むしろ苦痛になってしまった。

アブレーション治療というのは不整脈の異常な電気刺激を出している部分を心臓から電気的に隔離するわけで、左房肺静脈流入路をぐるりと高周波焼却するのが標準的手技である。言うなら心臓の一部を低温やけどさせるわけで、当然近くの臓器も影響を受ける可能性がある。特に食道はすぐ近くにあるので、ここも軽いやけどを負う可能性は高いのである。

私が治療を受けた病院ではアブレーション治療後に食道や胃の内視鏡検査をするのがルーティンになっていたが、微妙な神経損傷ぐらいでは、まず見過ごされるだろう(もっとも発見されたって別に治療手段はないけど)。多分、食道の知覚神経に軽い損傷をきたし、一気に食道を流れ落ちるビールが違和感のみを与えるようになったのだろうと言うのが私の仮説。

「カテーテルアブレーション後にビール飲用困難となった一例」と言う論文でも書こうかと思ったが、主治医からは酒を飲むなと言われていたのを思い出してやめた。もっとも一年間はちゃんと断酒してたんですよ。だからビールが旨くなくなっているのを発見したのも一年後。

ここからやっと本題にはいるのだが、グビグビゴクゴク系のビールは確かにうまくなくなったが、ちびちび飲むタイプの酒は昔と同じようにうまいと感じる。ビールでも、ベルギーのシメイとか、ヒューガルテンなどの手の込んだ発酵をさせたものなんかは、むしろよりうまく感じるほどである。特に後者に代表される小麦麦芽の白ビールは最高。いわゆる地ビールとして日本でもぼちぼち作られてはいるものの、妙に値段が高くていけない。

今日たまたま近くの安売り酒屋に寄ってみたら、何とベルギー白ビールをイメージした日本製発泡酒を売っていたのである。値段はたったの100円ちょっと。早速半ダースほど買い込み試飲してみる。見た目はあんまり白ビールっぽくないが、お約束のコリアンダーとオレンジピールのかすかな香りも付けられており、値段を考えると実にお買い得。

私みたいな特殊な事情を抱えている人間ばかりではなく、最近の若い人たちの間ではビール離れが進みつつあると聞く。白ビールなどの非ラガービールはひとつの方向性になるような気がしますがなぁ。ワイン感覚で飲めるのだから。ホワイトベルグなる安発泡酒が、そうした試みのアンテナ商品であることを期待したいものだ。何故か熱くなって長文になってしまった。

2015年8月17日月曜日

マンションを買ってしまった

何をトチくるったか、突然「マンションを買おう」と思いつき、たまたま訪ねた仲介業者のお兄ちゃんが気のいい人であったこともあり、いくつか回った物件のうち、まあまあと思えるものの契約を済ませてしまった。思いついてからひと月たっていない。こりゃもしかしたら躁状態に入り込みつつあるのかなぁ。

この歳ではローンを組むわけにも行かず、なけなしの老後資金を大方使い果たす。今までのまま賃貸に住み、自分の寿命と蓄えのどちらが先に尽きるかを競い合う、スリリングな老後を送るのも悪く無いと思うのだが、何となくそれでは落ち着きがなくなり、モノに頼る守りの姿勢になってしまったということなのかもしれない。

新居(といっても中古だが)の決定理由を列挙すると、
①猫が飼える。②駅に近い。③飲み屋街に近い。④食い物屋街に近い。⑤スーパーが近い。⑥言われてみればはるかに海が見える(どうも江ノ島の花火も見えるらしい)。⑦言われてみれば富士山もかなたに見える。
というわけで、人生を締めくくるにはまずまずの環境に思えたから。

こんな思いつきのお陰で後最低4〜5年は働くしか無くなってしまったが、なにせ怠け者なので、そうでもしないと引きこもり老人になってしまう危機感もこれを決めた理由のひとつである。しかし、契約を済ませた後に不動産サイトを見ると、もっと良さげな物件ばかりが目につくのは何故であろうか。

なお、左上の間取り図はイメージであって、実際に契約した物件とは何の関係もありません。

2015年8月11日火曜日

労働が美となる日を求めて

webニュースを見ていたら、ベトナムの鉄橋工事で100年前のスーパー技術が使われているという記事があり。その映像も紹介されていた。それを見て少々呆れる。全くスーパーテクニックでも、サーカス・パフォーマンスでもない。リベットの投げ手は腰がふらついているし、受け手はあちこち移動して何とか落とさずに受けているだけ。そもそも、両者はそう離れていない平面上にいるではないか。

私が子供の頃(考えてみれば60年近く前のことだ)、家の近くで鉄橋の新設工事をやっていて、このリベット投げを心行くまで観察できた。リベットの投げ手は道路の高さにいて、受け手は10数m以上高い鉄橋のテッペンにいるのである。当然受け手はほとんど動けず、体の正面に来るリベットを受けるしかない。外れたリベットを追っていけば転落するだけ。

ところが長い間見ていても、リベットが外れることは全くないのだ。投げ手はひたすら受け手の正面にリベットを投げ続け、受けた男は素早く必要な部署に分配する。夜になっても続く作業では赤く焼けたリベットが作る光の弧があまりに美しく、携わる男たちの仕事への誇りと気高さを象徴しているかに見えたものだった。

そんな訳で、いまもその技術を受け継いているといわれるベトナム人労働者諸君。あなた達の技術はまだまだ話しにならない。あなた達の労働が同時に美として捉えられるレベルに達しない限り、桎梏としての労働から解放される日はまだ遠いと思いましょう。差し当たってはあの投げ手の腰の座りを決めるところから誰か指導してやらにゃイカンな。

2015年8月6日木曜日

Windows 10


Windows 10にタダでアップグレード出来ると言うので、タダに勝るものなしと更新を予約して待つこと一週間あまり、ようやく更新していいよと言うお許しが頂けた。しかも既に必要なファイルの類はダウンロードが済んでいるという手回しの良さである。

ちょっと前にWindows 8に「格安で」アップグレード出来るというキャンペーンがあり、当然お調子者の私はそれをに乗っかったのだが、マヌケなことに32ビット版を入れてしまった。私はPC作業はすべてMac Bookですましており、デスクトップのWindowsマシンはいい歳をしてゲームをするだけなのである。32ビットOSでは最近の重厚長大なゲームなど走らず、結局以前のWindows 7の64ビット版をインストールしなおして使っていたのである。

その過程で「格安に」アップグレードした8は消えてしまい、再アップグレードには普通の料金がかかることが判明することになる。ちゃんとバックアップしとけば良かったんだが、そういう着実なことは絶対行えない体質なもので。当然今回もバックアップなどなし。消えてしまえば焼け跡闇市からやり直しである。こうして私はエントロピー増加の危機を逃れているわけ。ワイルドだぜぇー。

もっとも今回のアップグレードは実にスムーズに進み、2時間足らずで終了。本質的に何が変わっているのかはよく判らないが、少なくとも見た目は確実にお洒落になっていることは実感できる。Edgeというブラウザもなかなか格好良く、画面に書き込みができるという機能も素晴らしい。と言いつつ何を書いたらいいのか判らないので「へのへのもへ」を余白に書いただけ。「ピン止めしますか?」と言うような選択肢が出てきたがあれは何だったんだろう。

早速Grand Theft Auto Vを起動。ちょっとカクカク引っかかり動作が増えたような気がするがまあ普通に動く。ゲーム進行のほうは最低で、主人公の一人は中国マフィアにあっさり拉致されてしまうし、救出に駆けつけた仲間は何度やっても敵のアジトを発見できず、あえなく主人公は殺されてしまうしで、クリア出来ずに頓挫で放置。

別にWindows 10のせいではないのだが、このゲームのためにあるPCのようなものなのに、何か良いことがありそうな期待で過ごしていたこの一週間は何だったのかと、いささか虚しさを覚えるのだった。

2015年8月3日月曜日

タワシと歩く品川の夜

一昨夜品川で衝撃の光景を目撃したのを忘れていたので本日報告。一昨夜帰宅しようと品川の駅前に降り立つと、前を歩く50がらみのサラリーマン風男性が何かを引きずっているのに気づいた。

ペットを連れて散歩しているのかと思ったが、どう見ても会社からの帰りという雰囲気で、わざわざペットを連れ出して来たとは思えない。その上、そもそもリードに繋がれたペットと思われたものは、間違いなく亀の子タワシそのものなのだった。

それもひとつは純正亀の子タワシで、もうひとつはタワシで作られた亀のフィギュア。それをペット用リードにつなぎ、二匹(?)仲良く引きずっているのである。人々がチラリとタワシに視線を注ぎ、なかったことのようにしながら飼い主(?)たるサラリーマン風男性の顔をうかがって通り過ぎて行くのだが、当の男性はいささかもたじろがない。

これは何なのだろうかといくつか可能性を考えてみた。

①これは亀の子タワシ製作販売企業によるバイラルCMキャンペーンで、スポンジタワシ製品に対するシェア回復を狙った社運事業である。
②引きずっている人は飼っていたリアル亀を病気で失い、未だ受け入れられぬその死に対する喪の作業をこうしたパーフォマンスで遂行しようとしている。
③あれは一見タワシとタワシ製フィギュアに見えるが、実はペットとしても最適な新種生物である。
④実はあのタワシのほうがが男性を操っている知的存在で、この世界を征服せんとする野望の示威行動なのだ。

段々バカバカしくなってきたのでここらで止めるが、品川とはいえさすが首都トーキョー。私みたいな田舎者には想像もつかないことが起こっているんですなぁ。

2015年8月2日日曜日

オイスターバー

日本海側に住む上の娘が、品川のホテルでミニ学会があるので出てくるが、夜は暇なので晩ご飯を食べようと連絡してきた。下の娘も合流し、駅ビルにあるオイスターバーで食事会。要は私の懐を当てにしている訳。

土曜日ということもあるのか、街は人々で賑い、駅ビルのレストランはどこも行列ばかり。ただここのオイスターバーは駅ビルという立地にしては値段が高めのせいか、まず並ばないと入れないということはないのである。

味の方もまずまず。そりゃ生の牡蠣をむいて皿に並べるだけなんだから、元の牡蠣が美味ければ、誰がどうしようが美味いに決まってる。飲み物は清水の舞台から飛び降りる覚悟でシャンパン。牡蠣が届くまでに半分以上なくなってしまうのも大体いつもの我が家のパターンである。

結局もう一度清水の舞台から飛び降りることになり、牡蠣の方も12ピースでは足らず8ピースを追加。パスタやグリルした牡蠣も頼むが、こちらの方は大ブーイング。「味にパンチがない。ニンニクが足らん。塩がたらん。そもそも地中海系の料理はいい意味での下品さが命なのに」。ラテン系の料理にうるさい下の娘はテーブルにあった塩入れを抱え込んで塩味追加に余念がない。

その後は本格的飲酒モードになって昔食べたレストランや料理屋の食い物飲み物の思い出ばなしに花が咲き、久々の父娘再会合の夜は更けていったのであった。どっと軽くなった財布を胸に帰宅の途につきながら、それにしても食い意地と飲み意地だけが父娘の絆というのは如何なものなのかと、いささか考え込んだものだった。


2015年7月20日月曜日

お客様は徳尾君

休みだというのに朝早くからノエルが落ち着かない。何度も枕元にやってきて「はよ起きんかい」とばかりに猫パンチを繰り出してくる。まだ6時前なんだが。

腹が減ったのかと思い、仕方なく起きだしてみるが、猫のご飯皿にはたっぷりカリカリ餌が残っているし水もある。もしかしたらとベランダを見てみれば、そこに佇むお客様猫を発見した次第。

ノエルの残り物で申し訳なかったが、カリカリご飯を振る舞うと一心不乱に食べ始める。ノエルは遠巻きに眺めるのみ。この猫はマンションの隣の一軒家に一人で住んでいた婆様が飼っていた猫で、名前は徳尾君。尾っぽにボリュームがあり、いかにも徳がありそうだからそう呼んでいたのだそうだ。

もっとも飼っているとは言え殆ど外猫で、複数の家をパトロンにして渡り歩いていたようだ。ところがメインの婆様が3年ぐらい前から姿を消してしまい、家も締め切られたままになった。急な病気で身罷ったか、それともボケて施設にでも入ったのか。

かくして取り残された徳尾君は本物の外猫になり、家々を巡って喜捨を求める生活を本格化させることになる。さすがに少々薄汚れた外観にはなったものの、今も栄養は満点で自慢の尾っぽも堂々とその威容を放っている。食べ物を要求すると言っても騒ぐわけでもなく、ただ存在感を発しながら静かに施しを待つだけ。

そんな徳尾君のより良き生活に少しでも寄与してあげたいのだが、3年余りの完全野良暮らしは彼の人間観をかなり厳しい物にしたようで、依存はしてくるものの警戒を絶やさない。今朝もせめてブラシでもかけてやるかと近づくと、餌も放棄して逃げ出してしまった。婆様がいた頃はいつの間にか家に入り込んで昼寝してたりしていたんだが。

まあ何であれ、これも一つの縁。お互い生あるうちは一期一会を楽しみましょう。ただ、振る舞ってあげたご飯は最後まで食べてね。

2015年7月12日日曜日

ガスパッチョ

何か変に雨ばっかりで気温も上がらず、さっぱり夏らしくならないのだけれど、7月も中旬ということでもあるので、毎年恒例のガスパッチョ作りおき作業にとりかかる。

ガスパッチョを初めて味わったのは10数年前にスペインに行った時のことで、美術館のカフェテリアで紙コップで供されたモノが出会いの最初。昔、丸元淑生のちょっとトンデモ系の料理本に凝っていたことがあり、知識としてはあったのだが、実際に口にする機会がなかった。

カフェテリアはとても中身を期待できるような環境ではなかったが、結構行けるというのが第一印象。もともとヴィシソワーズみたいな冷たいスープが好きなので、それよりかなり無骨で素朴なこちらも気に入ったのだろう。後でちゃんとしたレストランで食べた物より、その簡易食堂の方が美味かったような気がするのも、ワイルドさがガスパッチョの持ち味ということかもしれない。

そんな訳で作業開始。我が家にある1リットル強のブレンダー(普通はミキサーと呼ばれるが正しい呼び方はこちらなのだそうで)ぎりぎりいっぱい(好みによるが4人前というところですかね)なら大きめの完熟トマト3個、きゅうり1本、パプリカ1個(ピーマン適量で可)、ニンニク2かけ(ホントは5かけぐらい入れてるが)、オリーブオイル150〜200cc、塩適量、クミン少々(別に無くても可)、フランスパンこぶし大(これも食パンで充分)と言うところか。量をまじめに考えたことがないので、作るたびに少しずつ違う。ブレンダーからこぼれ出さないということが最優先。

オリーブオイルを全部入れてから材料を入れて行かないと、ブレンダーが空転するばかりなのでご注意を。程々に滑らかになったところで水を加えて適量に調整。材料を入れすぎた場合は試し飲み量を増やす。出来上がったら、ブレンダーのカップごと冷蔵庫に入れて冷やしておく。まあ少なくとも3〜4日は持つのではないだろうか。

時間がない朝などはこれだけで済ますこともあるが、オリーブオイルのせいか腹持ちがとてもよろしい。ニンニクの臭いが気になるところだが、今までのところ同僚などからのクレームはない。向こうが我慢しているだけかもしれない。食物繊維とオイルとニンニクのおかげでやたらに通じが良くなるので、そのへんも多少考慮が必要かも。

ディナーの前菜にも使えるし、休日のブランチの主菜にもなり、とても便利で簡単に作れる、お洒落でエスパニョールな一品。お試しあれ。

2015年7月1日水曜日

誕生日…

朝起きてPCを開くとホームページにしているGoogleのロゴが左の画像に変わっていた。寝ぼけ眼でなんだこれ、と当惑しつつ、一昨年前ごろからGoogle登録メンバーへのささやかな誕生日サービスとして始まっていたことを思い出す。

そうか、今日は誕生日なんだと気が付き、同時にどっと落ち込んでしまう。去年はポール・マッカートニーの"When I'm sixty-four."あたりを利用して「老齢化」への不安をごまかせたのだが、四捨五入すると70となる領域に突入するとさすがに冗談では済まない。

折しも春頃から体調は最悪。身体のあちこちが痛み、耳鳴りは現実の物音を凌駕し、眼は霞む。いつも目脂がこびりついていて、洗っても取れない感覚である。普段、患者として医療機関に行くことはまずない私も意を決して眼科を受診したが結果は予想通り。「歳のせい」。それ言っちゃおしまいだろ。

まあ、この思うように動かなくなって行く身体を抱えて、死ぬ日を待つしかないということだけは明らか。気がつけば半年更新をサボってきたが、避けられぬ滅びの運命を受容する記録として再開するのも悪くないかなと考え、再更新を始めてみようと思う。

それにしてもGoogle、誕生日ロゴを毎年変えるぐらいの努力は出来ないものかね。